【ネオジオワールド】営業当時のマップ復元&アトラクション紹介! ー 今はなき遊園地のマップ復元シリーズ1

2018年9月27日

ネオジオワールドのマップ

こんにちは、ricebag(@ricebag2)です。

お台場には、かつて「ジョイポリス」のような屋内アミューズメント施設が4つもあった、と言われるとどんな状態だったのか気になりませんか?

この記事では、その1つ「ネオジオワールド 東京ベイサイド」というパークにどんなアトラクションがあったのかといった情報や、当時のマップなどをご紹介していきます!

 

この記事を読むとわかること

 

  • ジョイポリス以外にも、お台場には屋内アミューズメントがあった!
  • けど、2年位で会社ごと倒産
  • お金のかかった本格アトラクション多数

 

 

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1. ネオジオワールドってなんだ?

1.1 お台場に屋内アミューズメント施設を作ってはいけない??

ネオジオワールドを語るには、まずはお台場について語っておかねばなりません。

もともとお台場というのは砲台を設置する場所だったわけですが、さすがにそれは遡り過ぎなので、1970年台から話を始めることにしましょう。

1974年に、現在のお台場に船の科学館が設置されます。その後、埋立て等も進み1996年に世界都市博覧会を開催し、企業等を誘致する計画も進みます。

が、時の青島都知事が就任直後に中止を決定。

様々な計画が中途半端な状態で放り出されることになってしまいます。

 

ゆりかもめが長らく新橋~有明間で運行されていたのもその余波。

開発を行っていた企業も多数が倒産し、お台場は空き地だらけになってしまう危機に陥ります。

そんな流れをひっくり返したのが、1998年のフジテレビのお台場移転

球体ビルのインパクト、地上波を使った様々な宣伝、更には「踊る大捜査線」の舞台としたことなどで、時代の先端を行く場所というイメージを作り上げてしまったのです。

 

こうした情勢の変化で、商業地化できる可能性が出てきたお台場。

都市博覧会のメイン会場となる予定だった場所も、低額ではありますが貸し出されることとなります。

そこに森ビルを始めとする企業連合が飛びつき、1999年にできあがったのがパレットタウン。

ショッピングセンターの「ビーナスフォート」やトヨタのアミューズメント施設「メガウェブ」、そして件の「ネオジオワールド」などが集まった施設です。

 

ちなみに、この記事のはじめに書いていた、「お台場には屋内アミューズメント施設が4つあった」というのは以下の4つのこと。

  • 東京ジョイポリス: 1996年開業、セガのアミューズメント施設。アトラクション乗客が亡くなる事故等、存続が危ぶまれる事態も経つつ、現在も元気に営業中
  • メガウェブ: 1999年開業、トヨタのアミューズメント施設。2010年頃までにアトラクションは撤去した上で営業中
  • ネオジオワールド: 1999年開業、SNKのアミューズメント施設。わずか2年で閉園
  • メディアージュ: 2000年開業、ソニーのアミューズメント施設。わずか2年で全アトラクション撤去、現在は映画館と科学館のみの営業

いずれもかなり悲惨なことになっています。

今ではただのトヨタのショールームになってしまっているメガウェブのシティショーケースにも、かつては実車が揺れるシミュレータなど、多数のアトラクションがあったのです。

更には、2012年ダイバーシティ東京オープンと同時に開業したガンダムフロント東京も、2017年にアトラクションを撤去しガンダムベース東京と名前を改めてしまっています。

お台場はジョイポリス一強、他の屋内アミューズメント施設は客を吸い取られてしまうという恐るべき荒野なのです。

 

 

1.2 先陣を切ってジョイポリスに喧嘩を仕掛けたネオジオワールド

そんな「お台場に屋内アミューズメントはヤバイ」という事実が全く見えていなかった、お台場未開拓時代の1999年。

パレットタウン開業に合わせて、果敢にもSNKというアーケードゲームメーカーが殴り込みを仕掛けます。

SNKという企業は「餓狼伝説」「サムライスピリッツ」「キング・オブ・ファイターズ」などの対戦格闘ゲームで一世を風靡した会社。

もともとは「新日本企画」という社名だったのですが、その和名の頭文字をとってSNKという社名になった、東京電気化学工業(現TDK)も顔負けの残念な社名変更をしています。

 

話はそれましたが、格ゲーで一世を風靡した時代にゲームセンターにハードも供給していて(アーケードゲームでは基板ごと供給するのが一般的と言いますか、ハードまで含めてメーカーが供給します)、そのハードの名称が「ネオジオ」でした。

ネオジオは家庭用ハードとしても提供。ゲームセンターの性能をそのまま家で再現できる、恐るべき性能を誇っていたのですが、いかんせん本体価格6万円弱ソフトは2~4万円ほどと価格設定も業務用並み。一部の格ゲーマニア以外には浸透しませんでした。

更には、携帯型ゲーム機「ネオジオポケット」「ネオジオポケットカラー」も発売。こちらもやはり格ゲーメインでのラインナップで、任天堂の「ゲームボーイ」シリーズには遠く及ばず、バンダイの「ワンダースワン」「ワンダースワンカラー」にもかなわない結果に終わります。

 

そんな残念な経緯をたどることになるSNKですが、1999年当時は格ゲーブームもあって絶頂期。

イケイケドンドンで一気に拡大戦略をとっていました。

その拡大戦略の一つが、総合アミューズメント施設の運営

参考にしたのはもちろん、アーケードゲーム大手のSEGAです。

 

SEGAはゲームセンターの運営を始めとして様々な業態に手を出していました。

今ではUGAに吸収されていますが、一時期は通信カラオケ端末にまで手を広げていたんです!

この方針を参考にしたSNKは、今で言う「ラウンドワン」的な、ボウリングやカラオケ、ゲームセンターなどが一体化した施設の運営を始めます。

その名前が「ネオジオランド」、「ネオジオワールド」。

こうした業態を更に拡大させ、SEGAのアミューズメント施設「ジョイポリス」の旗艦店があるお台場に殴り込みをかけたのが「ネオジオワールド 東京ベイサイド」なのです。

 

1.3 ネオジオワールドは複数展開する予定だった!?

ちなみにこの、お台場の「ネオジオワールド 東京ベイサイド」、実は上にも書いてあるとおり、1号店ではありません。

最初に出店したのは、なぜか土浦。

ネオジオワールドつくば」という名称で出店しています。

ネオジオワールドつくばの紹介記事
ネオジオワールドつくばの紹介記事。「ぴあMAP遊園地1999-2000全国版」より引用。

このネオジオワールドつくばは、まだ開発費もさほどかかっていないであろう、汎用アトラクションが中心です。

というのも、画像で紹介されている「ゴーストハンターズ」、「アイマックス・ライドフィルム」はいずれも「横浜ジョイポリス」にあったアトラクションと同型。

写真でスタッフのコスチュームとして紹介されているのは、新宿ジョイポリスや福岡ジョイポリスなどに設置されていた対戦シューティングアトラクションの装着具なんです。

というわけで、初代ネオジオワールドはまんまジョイポリスの多店舗展開型といった形態でした。

 

こうして多店舗展開する気満々のまま、出店した旗艦店がお台場版。

その中身がどんな感じだったのか、いよいよ本丸に迫っていきましょう!

 

次ページでは、当時のマップ等をそのまま掲載していきます!