ロッテワールドにレゴランド…ポシャった遊園地・テーマパークの計画 ー 今はなき遊園地のマップ復元シリーズ番外編
こんにちは、ricebag(@ricebag2)です。
この記事では、かつて計画だけはあったんだけど、ポシャってしまった遊園地・テーマパークの計画をご紹介していきます。
特にディズニーシーやユニバーサル・スタジオの開業が相次いだ2000年前後に着目し、バブル期の計画沸騰期とは異なる、着実な計画がありながらもポシャってしまった例を見ていきますよ。
1. 2000年前後はテーマパーク開業計画がアツかった
今でこそまとまった土地=イオンモールの図式ができあがってしまっていますが、2000年前後はまだ比較的夢のあった時代。
バブルの名残もあってか、あるいは余暇といえばテーマパークの図式が残っていたのか、はたまたディズニーランドの成功に触発されたのか。
1990年代初頭から計画のあったディズニーシー、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが2001年にオープンしたのに加え、様々なテーマパークが次々に開業していきました。
例えば1999年には「ズーラシア」、「よこはまコスモワールド」の全面開業、「ネオジオワールド東京ベイサイド」など。
2000年には「メディアージュ」などが相次いでオープン。
この時代のテーマパークは、1990年代前半に粗製乱造された第3セクターのテーマパーク(「アジアパーク」、「ネイブルランド」などの記事を参照。これがきっかけで市の財政破綻にまで追い込まれた夕張の「石炭の歴史村」なんかも代表例です)とは違い、しっかりと練られた計画をベースに作られていったのが特徴です。
ネオジオワールドやメディアージュなど、屋内型テーマパークは短命に終わってしまいましたが……。
さてさて、そんな2000年前後には、残念ながらポシャってしまいましたが対外的にオープンにされていたテーマパーク構想もたくさんありました。
その一部をご紹介していきます!
2. ディズニーにおんぶにだっこ!? ロッテワールド東京
韓国では全天候型の一大レジャー施設として知られるロッテワールド。
実は東京都内にも進出しようとしていたことがあったんです。
その場所がなんと、葛西臨海公園駅すぐ北。現在は「ロッテ葛西ゴルフ」というゴルフ練習場がある場所です。
東京ディズニーリゾートのすぐ隣の駅に、ショッピング施設、ホテル2棟、人工スキー場、海に見立てた屋内プール、そして遊園地タイプのアトラクションなどを備えた全天候型施設を2002年にオープンする予定でした。
もう、ホテル2棟なんてあからさまにディズニーランド需要を狙っていますよね。
しかしながら、これだけの施設を作り込むのに敷地面積は東京ディズニーランドの半分以下の、およそ20万平米。
しかも人工スキー場に屋内プールなんて、思考が完全にバブルです。ザウスとシーガイアをくっつけて規模縮小したようなもんじゃないですか……。
景観や日照障害に配慮してホテル1棟の計画を中止したり、結構本格的に計画を進めていたようなのですが、東京ディズニーシーが2001年にオープンすることなどを理由に2000年頃に計画は頓挫。
東京ディズニーシーがオープンすることなんて、いろいろ東京ディズニーリゾートを経営するOLCがゴタゴタやっていたとはいえ、1992年には決まっていたことなのになぜ??
本来であれば、むしろ舞浜地区に人が増えるので、滞在型リゾートのおこぼれを預かれる形になってメリットがあるはず。例えばフロリダのウォルト・ディズニー・ワールドの周辺なんて、ユニバーサル・スタジオやらシーワールドやらのテーマパークがハイエナのようにたかっていますからね。
ロサンゼルス周辺なんて、むしろディズニーランド側がハイエナだったのに。
さらに2002年といえば、日韓ワールドカップなどを期に韓流ブームの端緒が見え始めていた時代。
これ以上のタイミングはなかったはずなのですが。
経営の問題なのか、景気の問題なのか、はたまたあまりにバブリーすぎる計画のヤバさに気付いてしまったのかはわかりませんが、いずれにせよ韓国ロッテ内部でなにか起きての計画中断でしょう。
結局土地取得は済んでいたので、計画地は前述のゴルフ練習場として活用されることとなります。
2. 当初予定は幕張だった!? レゴランド幕張
現在でこそ名古屋にオープンし、良くも悪くも話題だらけのレゴランド。
実は誘致計画は1990年台からありました。
なんといっても、レゴランドは世界展開して成功しているテーマパークの稀有な例ですからね。土地の余っている自治体からしたら飛びつきたい相手なんです。
候補地となっていたのは、幕張海浜公園。
海浜幕張駅から幕張メッセとアウトレットの間を抜けて直進した先の、海岸付近です。
舞浜からも30分かからないので、やはりこちらもディズニーとの相乗効果が狙える立地ですね。
当初予定は2002年でしたが、その後2004年まで予定が延長され、結局2003年には撤退が発表されました。
原因は不況により企業の出資が集まらなかったことだとされていますが、手狭すぎる敷地にも問題があったように思います。
結局、東京圏へのレゴランド出店計画は「レゴランド・ディスカバリー・センター東京」として2012年に実現されました。こちらはお台場デックス東京ビーチ内への出店で、レゴランドの小規模版。
3. 国産コンテンツのテーマパーク化は難しい!? 手塚治虫ワールド
はてさて、海外からの大型リゾート誘致以外にも、国産テーマパークの構想もいくつかありました。
その1つが、日本が誇る文化、漫画を大衆に広めた第一人者にして漫画の神様「手塚治虫」をテーマにしたテーマパークです。
アトムの誕生日2003年4月7日オープンを目指して計画された手塚治虫ワールド。その候補地は川崎市の浮島地区でした。
そもそもディズニーランドが好きだったという手塚。
そんな意図を汲んでか汲まずか、手塚プロダクションが手塚治虫ワールド構想を練り上げると、全国各地の多数の自治体が誘致合戦を始めます。
結局のところ、没落しつつあった京浜工業地帯をなんとかしたい神奈川県と川崎市が誘致に成功。
当初は東京ディズニーランド並の敷地に42のアトラクションを設置する計画が立てられました。
が、実はそもそも手塚プロダクションが構想を練っていたところに問題があります。
どういうことか、お気付きですか?
勘の良い方ならおわかりだと思うのですが、手塚プロダクションはただの著作権管理会社です。
一応アニメの制作も行ってはいますが、日本の場合アニメ制作会社は企画会社の下請け的存在。規模も大きくありません。
つまり、巨大テーマパークを作るだけの資金力を持ち合わせていないのです。
そこで手塚プロは、県と市から多額の出資を受けた第3セクターの設立を希望します。
ですが、数々の第3セクターテーマパークの失敗を見てきた県と市は、もちろん難色を示します。
そうなると手塚プロが取れる手は、パトロンを探す、つまり多額の出資をしてくれる企業を探すことしかないのです。
しかしながら時は1990年代なかば、不況真っ只中です。巨大テーマパークにポンとお金を出せるような企業なんて、そうそうありません。
そうこうしているうちに、当初は自治体を選ぶ立場だったはずの手塚プロの雲行きが怪しくなってきます。
自治体側はその計画では無理だと言い始め、場所の変更を余儀なくされ、敷地面積は当初の半分以下に。アトラクション数も減らさざるを得なくなります。
さらに、そもそも計画に乗り気でなかった川崎市では市長が交代し、テーマパーク反対派へ。
もうこうなってはどうしようもなく、手塚治虫ワールド構想は消滅してしまったのでした。
立地的には羽田空港からも近く、京急大師線あたりの延伸と複線化、本線との相互乗り入れをすれば都心や横浜からのアクセスも悪くない場所でした。
ですが、そもそもの計画にかなり無理があったような気がします。
というのも、当初手塚プロは集客予想を年間1,000万人としていました。
2017年の東京ディズニーランド集客数が1660万人、USJが1500万人、ディズニーシーが1350万人、ナガシマスパーランドが600万人です。
特に東京ディズニーリゾートは、ディズニーシー開業直後から2012年頃までにかけて、25周年の年を除けば2パークあわせて2,500万人前後の時代が続きます。
ディズニーですら、1パークあたり1,250万人の集客がやっとという時代ですよ。
手塚治虫ワールドの構想期はディズニーランドしか無くて、単独で1,500万人以上の入場者数をコンスタントに叩き出していたとはいえ、いくらなんでも盛りすぎです。
投資額は1,800億ほど。USJの総事業費1,700億と良い勝負ですが、そもそもアトラクション開発費がほぼかからない輸入品だらけのUSJでそれだけの額がかかり、しかもコンスタントに1,000万人を超えられるようになるまで12年間の我慢と投資が必要だったわけです。
経営面から見ると、結果的には作らなくてよかったと言えそうです。
ディズニーがメディアを支配し、一大企業となっていたり、グッズが大量に売れるマーベルなどを擁するアメリカと違い、日本のコンテンツはそのほとんどをコンテンツ管理会社が持っています。
そもそも資金力がないので、単独でテーマパークを作ることができないのです。
日本のコンテンツで唯一テーマパーク化に成功したのはサンリオ。ただし、それも熱狂的なファンあってのことですし、規模もだいぶ控えめです。
手塚コンテンツに、「グッズなら何でも買いたい」というような熱狂的ファンなんて数えるほどしかいないのではないでしょうか。別に手塚治虫のキャラが悪いと言っているわけではなくて、方向性がキャラクターを使った商売とは違いすぎるのです。
アトムとブラックジャックが特殊なだけで、手塚キャラは「役者」であって、それぞれの作品に固有のキャラがいるわけでもないですからね。
結局、日本のコンテンツで観光地化に成功しているのは、「三鷹の森ジブリ美術館」や「境港水木しげるロード」など、身の丈にあった規模と手作り感のあるあたたかみやもてなしで成り立っているところなのです。
「日本のコンテンツ」として組み合わせれば対抗できる可能性はあっても、単独コンテンツでディズニーやユニバーサルに対抗できるテーマパークを構築するのは難しいんでしょうね。
4. 一体どうしちゃったんだ… ファンタジーワールド
候補地も何もかも未定のまま消えていった計画が、「ファンタジーワールド」。
こちらもアニメーション制作会社の老舗「日本アニメーション」の企画です。
日本アニメーションは「フランダースの犬」などで知られる「世界名作劇場」の制作会社。
何を血迷ったのか、それらのキャラクターをベースに、「心に残る祝祭空間」の開発を目指して計画を進めていたんだそうです。
30万平米の敷地に、13のアトラクションを設置する予定だったようなのですが、結局候補地も決まらずじまい。
どんな空間を作る気だったのか気になりますが、嫌な予感しかしないので知りたくない、そんなテーマパークです。
いずれにせよテーマパークの巨額出資に耐える資金力は持ち合わせていないはずですから、出資企業が集まらなかったのかな?
5. まだまだあるぞ! ポシャったテーマパーク構想
セガがジョイポリスの出店に意欲的だったように、ナムコも一時期テーマパーク運営に積極的だった時代があります。
かつて二子玉川にあった「ナムコ・ワンダーエッグ」は、実は多店舗展開する構想があったようなのです。
実際、1999年には福岡のホークスタウンにバーチャルリアリティマシンを多数備えた都市型テーマパークを作る、という計画がありました。
こちらは、「ナムコワンダーパーク」として、ほぼ単なるゲームセンターとして実現。
ちなみに2年前の1997年に「ナムコワンダーパーク」1号店が今治にできていますが、こちらはゲームセンター、カラオケ、ボウリングなどの複合施設。ネオジオもナムコも考えることは一緒ですね。
他にも計画倒れに終わったもの、実現しなかったものなどいろいろあるのですが、小さい計画が多く、果たして本当に実現しなかったのかの検証も難しいので、ここでは割愛させていただきます。
いずれにせよ、東京ディズニーリゾート、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン、ナガシマスパーランドだけで5,100万人規模というアジア最大のテーマパーク市場を持つ日本。
ここに1,000万人級のテーマパークを追加するのは、かなり苦しそうです。
どうなる、今後の日本テーマパーク業界!??
6. 幻のテーマパークを実際に見に行こう!
残念ながら手塚治虫ワールドやファンタジーワールドは、実体化せずに終わってしまいましたので見に行くことはできませんが、レゴランドやロッテワールドなら見に行くことができます。
レゴランドは近場なら、やはりレゴランド・ジャパン。
残念ながらレゴランド・ジャパンは滞在するほどのリゾートではありませんので、名古屋市内の宿泊が便利。
さて、そんな名古屋宿泊ですが、大手旅行会社のツアープランを使うと比較的安く行けたりします。
例えばHIS名古屋地区のツアーなんて安くてオススメですよ。
リンクは首都圏出発にしていますので、違う地域にお住まいの方は、ページ一番上の「地域変更」からお住いの地域をご選択ください。
ロッテワールドは、やはり本場ソウルがオススメ。中国の方はいろいろゴタゴタしてますので。
コースター大手のインタミン社製のレアなコースターが2機あったり、かなりハードなVekoma社製コースターがあったり。意外とコースターマニア的にも美味しい施設だったりします。
ソウルなら安心のJTBツアーですら2万円台から行けちゃったりします。
結局実現しなかったテーマパーク、ぜひ一度体験してみてください!
7. 次に読むのにオススメの記事
おなじ2000年前後には、実現したけど潰れてしまった遊園地・テーマパークもたくさんあります。
その代表格が、お台場の「ネオジオワールド」。以下のページで営業当時のマップを復元しつつ、アトラクションの詳しい紹介もしていますので、ぜひご覧ください。
潰れた遊園地のマップシリーズを含む、遊園地関係の記事は以下のページにリストアップしています。
こちらを眺めていただいて、気になる遊園地がありましたら個別の記事も是非読んでいかれてください!
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