搬送用設備の娯楽転用(19世紀) ー ローラーコースターの歴史2

2020年6月19日

ブースターで押される車両

こんにちは、ricebag(@ricebag2)です。

ローラーコースターの歴史シリーズ第2回の今回は、ローラーコースター誕生前のアメリカのお話をしていきたいと思います。

前回はロシア→ヨーロッパへと渡り、ローラーコースターに近い形状にまで進化したすべり台のお話でした。そこで一度歴史は途切れて、舞台は海を渡りアメリカへと移ります。

そこには高速で坂を滑り降りるモノを見かけると、どうしても乗ってみたくなってしまう人の性が垣間見えます。歴史的には、この時代もまた現代のローラーコースターと直接的な関係はないのですが、後にローラーコースターを世に誕生させることになる人々の欲求を知る上で重要だと思いますので、一通りの流れを追ってみましょう。

 

 

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1. すべり台は大人も大好き

子供用の遊具として定番のすべり台も、あまりに大型化すると子供は恐怖心から滑らなくなります。

一方で、大人になると子供向けのすべり台では物足りなくなりますが、巨大で角度のきついすべり台を見かけると、大人も(少なくともスリルを求める若者は)滑りたくなってしまうものです。

アメリカでもローラーコースターができる前、そのような大型すべり台を滑ろうとする試みが、いくつかなされていました。

 

例えば、アラバマ川のほとりにあった広大な綿花農園。収穫された綿は袋詰めされたあと、アラバマ川を航行する蒸気船へと積み込まれます。蒸気船が航行できる川のほとりに農園を作るという合理性がアメリカらしいところですが、更にその綿の積み込み方も合理的で豪快なものでした。

袋詰される位置が小高い丘の上にあったため、そこから巨大なすべり台を作って、船まで落としていたのです。絵として記録されているものが正しければ、高低差は50 mではきかないんじゃなかろうか、という巨大なすべり台。そこを高速で滑り落ちていく綿の入った袋を見ていると、スリル好きはいても立ってもいられなくなります。

袋にまたがって(またはしがみついて)、長大なすべり台を滑り降り、川へとダイブしていたのです。

 

カリフォルニア州のシエラネバダ山脈では、大型のいかだに乗って激流を下る川下りが行われていたそうです。これもおそらく、別の用途で作られた水路を転用したものだと思うのですが、詳細は不明です(きちんと調べればわかると思いますので、判明次第追記します)。

なんと38 km近い距離を、最高時速160 km/hで下っていたと言います。当時のスリルライド関係の記事は、計測機器なんてなかったこともあってか、数値を盛りに盛りますので、話半分か話3割程度に聞いておいたほうが良いかと思いますが、それにしても大型で高速のウォーターシュートだったようです。

 

他にも寒い地域では、やはり氷のすべり台があったりと、アメリカでも大人向けのすべり台がいくつも存在していたようです。

 

 

2. マウフ・チャンク・スイッチバック・レールウェイ

ローラーコースターの歴史を書いた書籍やウェブサイトには必ず登場する、マウフ・チャンク・スイッチバック・レールウェイ。これは鉄道だったものが後に観光用途に転用されたものです。

はじめはなぜこれがアメリカのローラーコースターの原型とされるのか不思議だったのですが、どうやらこの鉄道は思いの外スリルがあって、なおかつ初期のローラーコースターは「娯楽用途の鉄道」として作られた側面があったために、マウフ・チャンクが原型とされるようになったようなのです。

厳密には1886年のトンプソン以降のローラーコースターの歴史との直接的な関係はないと思っているのですが、技術的に非常に面白い機構がいくつも取り入れられていますので、詳細をご紹介してみます。

 

立体交差するマウフ・チャンク・スイッチバック・レールウェイ
行きの線路と帰りの線路が立体交差している場所。画像は著作権切れのため転載可、ダウンロード元はwikipedia

 

マウフ・チャンク・スイッチバック・レールウェイ(Mauch Chunk Switchback Railway)は、いわゆる鉱山鉄道として作られた鉄道です。1827年、ペンシルベニア州の露天掘り鉱山に導入されています。

もともとは古い道路を新たに整備し直して、(おそらく馬車ならぬラバ車で)石炭の運搬をしていたのですが、それでは輸送力が不足して川を利用した水運へとシフトします。それでもなお輸送力が足りなかったゆえに、鉄道を導入しました。

ですが、鉱山は山の上。石炭を満載しているのは下りで、上りは空荷です。気動車は不要で、重力にしたがって走行するトロッコで十分なのです。当初、上りはラバを使って押し(引っ張り)上げていました。

山を猛スピードで駆け下りるトロッコを見かけたら、スリル好きは乗らずにはいられません。石炭を積んで下るのは午前中だけで、午後は観光客用に商業営業するようになります。観光客は遅くとも1829年にはマウフ・チャンクを訪れていて、1回50セントの料金で乗車できていたそう。

 

欧州よりも遅れること50年近く。1830年代に入るとアメリカも産業革命を迎えます。それに伴って石炭需要が急増。1つのレールを往復する車両だけでは、輸送力が不足しはじめます。そこで、いくつかの工夫が取り入れられます。

まず、下りと帰りで違うルートが作られました。下りは今まで使っていたルート。帰りは新設です。これによって周回経路が完成します。

ただし、帰りも多くの部分を重力で下りながら走行できるようにするため、2箇所に急な山登りがありました。その山登りには、蒸気機関を用います。ただし、蒸気機関車ではなく固定式の蒸気機関。大半を重力で走行するタイプの鉄道にとって、1編成に1つ蒸気機関が必要な蒸気機関車より、1つあれば何台でも引っ張り上げることができる固定式のほうがコストメリットがあったのでしょう。パワー的にも固定式のほうが良かったのかもしれません。

この蒸気機関でブースターと呼ばれる小さな車両を引っ張り上げます。その車両が、客車や貨車を後ろから押すことで、客車・貨車を山の頂上へと運んだのです。これは現在のローラーコースターでも、例えば東京ドームシティのサンダードルフィンなんかは先頭車両にブースターを連結して、ワイヤーで引っ張り上げています。その先駆けとなったものが1840年代にはあったのです。

ブースターで押される車両
ブースターで車両を押し上げている様子。画像は著作権切れのため転載可、ダウンロード元はwikipedia

ブースターが車両を後ろから押したのは、連結機構の簡略化という目的ももちろんあるでしょうけれども、安全性という意味合いもあったようです。ブースターにはアンチロールバック機構(ローラーコースターの巻き上げ時にカタカタ言うアレです)が備わっていて、レール脇のギザギザに噛み合って、巻き上げワイヤーが切れても車両が落下しないようになっていました。アンチロールバックがローラーコースターに導入されるのは1900年代に入ってからですから、驚くほど早い時期に驚くほど高い安全性を備えていたことになります。当時は人の命より石炭が大事だっただけなのかもしれませんが……(というより、人の命に値段はつかないけど、石炭はお金になるから?)。

マウフ・チャンクの逆進防止装置
レールの奥に見えるギザギザが、逆進を防止するためのラチェットが噛み合う場所。画像は著作権切れのため転載可。ダウンロード元はwikipedia

日本は江戸時代だったことを考えると、本当に驚くべき進化スピードです(全通は1872年なので、明治に入ってから)。

 

1873年頃からは、石炭用の貨車から観光客用の客車へと付け替えられ、観光目的での運行が主となります。これはトンネルが掘られ、蒸気機関車が走る鉄道が鉱山までひかれたために、スイッチバック・レールウェイが不要となったからです[2]。

重力によって走行する観光客用トロッコは話題を呼び、1年間で35,000人もの人が訪れます。日当たり100人ですから、今から考えると決して多くはありませんが、当時のペンシルベニア州の人工は350万人ほど。近隣の大都市であるニューヨークからは直線距離で150 kmも離れていますから、当時の移動速度では移動に1日がかりの大旅行です。そんな場所にこれだけの人が訪れていたことは、驚きです。

その後、1874年にマウフ・チャンク・スイッチバック・レールウェイは鉄道会社へと売却されます。鉄道会社は観光資源として売出し、ニューヨークからの観光用鉄道がひかれました。

20世紀になると、ローラーコースターの誕生や、自動車の速度が上がってきたこともあって、わざわざマウフ・チャンクまで行く意義が薄れてしまいます。1929年には鉄道会社も身を引き、1938年には営業を終了してしまいました。

 

最終的には高低差300 m以上、全長約30 kmという、ローラーコースターというジャンルに含めて考えれば他に類を見ない規模のライド。時代の流れとはいえ、なんとも惜しいような気もします。

概念としては、鉱山鉄道を利用したローラーコースターということで、ある意味ビッグサンダー・マウンテン等の「マイン系」(通常マイン系というと、ライドが1両編成のものを指す場合が多いのですが、ここでは広く鉱山鉄道をテーマにしたローラーコースターを意味します)の原型になったとも言えます。ただし、マウフ・チャンクは景勝地の林の中を走行する、オープンで緑豊かなコースターだったようですが。そもそも、露天掘りなので坑道は無いですしね。

 

このコースター、スイッチバックとついていますが、いわゆる鉄道のスイッチバック機構のようなものはありません(終点で折り返していた可能性はありますが)。このスイッチバックという名前は、おそらく山道を進む、程度の意味合いなのでしょう。もともとは、つづら折れの山道を指す言葉ですので、そこから転じて使われていたと思われます。

スイッチバックという言葉は、おそらくこのマウフ・チャンクがきっかけで、様々なローラーコースターにも使われるようになります。その結果、スイッチバックという言葉自体が一般名詞化して、ローラーコースターそのものを指すようになりました。現在でも、辞書を見るとイギリス英語として、ローラーコースターを指すと記載されています。

 

次回の記事では、いよいよ世界初のローラーコースターに迫っていきます。

 

参考文献

今回参考にしたのは、主に

[1] “The Incredible Scream Machine – A History of the Roller Coaster," Robert Cartmell, Amusement Park Books, Inc. and the Bowling Green State University Popular Press (1987).

です。一部、

[2] “Roller Coaster – Wooden and Steel Coasters, Twisters, and Corkscrews," David Benett, Chartwell Books, Inc. (1998)

[3] “Ultimate Rollercoaster.com" https://www.ultimaterollercoaster.com/coasters/history/ (2019年6月19日閲覧)

の表記も参考にしています。