初期のキワモノコースター(1900-1920) ー ローラーコースターの歴史4

コニーアイランドのループ・ザ・ループ

こんにちは、王道も好きだけどキワモノコースターも大好き、ricebag(@ricebag2)です。

1884年に世界初の現代型ローラーコースターが作られてからしばらくの間は、試行錯誤が続きました。1920年代はローラーコースターの黄金時代と呼ばれていて、王道の木製コースターが沢山(2,000機以上!)作られましたが、その前の1900年~1920年頃にかけては、驚くべき機構を持ったキワモノコースターがたくさん作られていたのです。

今回は、そうしたキワモノコースターたちを中心に1900年~1920年頃のローラーコースターの歴史を見ていきます。これらがどうして淘汰されていったのかを知ることで、王道コースターの魅力の本質に迫ることができるのではないでしょうか。

なお、皆さんご存知(かどうかはわかりませんが)、「天才」ジョン・ミラーは1900年代、1910年代にも多くのコースターを製作していますが、彼が輝いていたのは1920年代であることと、王道木製コースター黄金期へのつながりが深いことから、この記事では簡単に触れるだけにして、次回以降の記事で詳しくご紹介していきます。

[1]や[2]といった表記は、参考文献番号です。参考文献は末尾にまとめて記載していますので、ご参照ください。

 

 

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1. 当時のローラーコースターについて

まず、前提として当時のローラーコースターに使われていた技術をご紹介させてください。

 

当時、基本的にはローラーコースターは急なカーブや急なドロップが苦手でした。これは、ライドをレールに固定できていなかったためです。

現代のローラーコースターでは、チューブ状のレールに対して当たり前のように、上、横、下の3つの車輪で挟み込むようにすることによって、ライドがレールから離れないようにしています。しかしながら、これは1912年のジョン・ミラーの特許以降に使われるようになった技術です。

それ以前は、カーブでの脱線を防ぐ代表的な手法は、車両の脇を抑え込むようにガイドを付けておく「サイドフリクション」と呼ばれるものでした。いわば、ミニ四駆のように壁にぶつかってカーブを曲がっていたわけです(もちろん、車両のサイドに車輪は付いています)。これは建築コストがかさみますし、見た目もよろしくない、さらには施工精度によっては走行抵抗も大きくなって速度が出なくなる、現代から見ればイマイチな構造です。ちなみに、急なドロップなどで車両が飛び上がってしまうことを防ぐ手法は、ほぼ存在しませんでした。

 

ブレーキもまた、今とは大きく異なります。センサーを使って自動で車両を停止させることなんて、もちろんできません。更には、油圧で駆動する手法もまだありませんし、動力を使ってブレーキをかけることもできません。

基本的には、プラットフォーム付近にブレーキが設置されていて、それをプラットフォームに立ったおっちゃんが手でレバーを動かして操作をするものでした。場合によっては、車両にブレーキが搭載されていて、ライドに「ブレーキマン」と呼ばれる人が乗っていることもあります。

 

そんな脱線上等、ブレーキ手動の時代であることを念頭に置いて頂いて、以下をお読みください。

 

 

2. ループコースター

現在では王道のローラーコースターの1つであるループコースターも、20世紀初頭はキワモノでした。

世界初のループコースターが1846年にフランスに作られたものであろう[1]ことは、本シリーズ第1回で述べたとおりです。

その後、フランス系のローラーコースター(ロシアの山)が途絶えたこともあって、しばらくループコースターが現れることはありませんでした。

 

ですが、重力で走行するライドを作ると、どうしても途中にループを入れてみたくなってしまうのが人の性なのでしょうか。1884年にトンプソン氏がスイッチバック・レールウェイを製作したあと、1888年にはアメリカでループコースターの試作が行われています。商業営業を開始したのは1995年。

フリップ・フラップ・レールウェイ(Flip Flap Railway)という名前で、ニューヨークのコニーアイランド内、シーライオンパーク(Sea Lion Park)という遊園地に設置されました。ちなみに、シーライオンパークはアメリカで初めて敷地をフェンスで覆い、入場料をとった遊園地。それまでは、各種アトラクションが単体で存在しているだけでした。初期のコニーアイランドについては、本シリーズ第3回の記事をご覧ください。

Flip Flapの名前の正確な由来はわからないのですが、少なくとも本来Flip Flapが指す、パタパタと動く板とは直接的な関係はなさそうです。Flipにひっくり返るという意味があって、Flapにパタンと、といった意味合いがありますので、「クルッとひっくり返る」というニュアンスを、Flip Flapというある種の慣用句の語感にかけたものだと思われます。

このコースターは、むち打ちなど、首を負傷する人が相次いだために乗客数が低迷、そもそも1車両に2名しか乗車できないという仕様も相まって、シーライオンパークが1902年に閉鎖されると同時に解体されてしまいました。シーライオンパークの跡地には、世界初のテーマパークとも言われるルナパークがオープンして、いくつかのアトラクションをそのまま継承しているのですが、人気のなかったフリップ・フラップ・レールウェイは継承されなかったのです。

フリップ・フラップ・レールウェイで負傷者が相次いだ理由は、

  • ループが真円だったこと
  • ループの直径が小さかったこと

だと言われています。垂直ループでは、ループ下部で車両スピードが速く、ループ上部で遅くなります。このため、ループ下部のほうが遠心力が強く、ループ上部では弱くなります。ループ上部で車両が落下してしまわないような速度を維持しながら、ループ下部でかかる遠心力を抑えるためには、ループ下部ではカーブをゆるくして、ループ上部でカーブをきつくする、歪んだループ形状にする必要があります。しかしながら、時は19世紀末。まだローラーコースターをしっかりと設計するなどという文化はなくて、とりあえず作ってみて途中で止まっちゃったら最初の山を高くして、スピードが速すぎたら山を低くして、と調整しながら作っていた時代です。もちろん人にかかる負荷を計算しているはずもありませんので、とりあえず作ってみてしまったのでしょう。

ループの直径が小さすぎるのは、建築技術の問題もありますが、前にも述べたとおり車両がレールに固定されていなかったという問題もあると思われます。万が一にも風が強かったりして速度不足に陥った状態でループに侵入すると、ひっくり返った状態で車両が落下してしまう恐れがあります。このため、ループに対して過剰な速度で侵入せざるを得ない、逆に言えば、ループを小さくせざるを得なかったのです。

フリップ・フラップ・レールウェイ
フリップ・フラップ・レールウェイ。ループは厳密には真円ではないように見えます。ギャラリーが多いのも特徴的です。著作権切れのため転載可。この画像のダウンロード元はwikipedia

なお、フリップ・フラップ・レールウェイのループ下部でかかった荷重は、12G(重力の12倍)とも言われています[2]。人の頭の重さは5 kgくらいですので、頭が60 kgの重さに感じることを意味しています。これ、まっすぐ椅子に座った状態で、頭の上に45 kgの人が乗っかることを考えると、一瞬なら耐えられそうな感じがしませんか? あるいは頭だけで手をつかずに逆立ちすることも、一瞬ならできますよね。何が言いたいかといいますと、問題なのは12Gという荷重ではないということです。むしろ、荷重の変化が問題なのです。上の絵が正しいなら、ループへのアプローチはなだらかであるにも関わらず、ループ下部で曲率が急にキツくなっています。急に荷重が大きく変化する、ある種の「衝撃」が首に加わることが負傷を引き起こすのです。更に、当時の技術では振動が大きいために姿勢をまっすぐに保てなかったことも原因の1つだと思われます。

 

1901年には、フリップ・フラップ・レールウェイよりもループを歪ませた、ループ・ザ・ループ(Loop the Loop)がコニーアイランドにオープンしています。構造材はフリップ・フラップ・レールウェイが木だったのに対し(上の絵が本当にフリップ・フラップ・レールウェイのものであれば、鉄のようにも見えますが…)、ループ・ザ・ループは鉄を採用することで剛性を高めています。

サイドフリクション構造になっていますので、ある程度スピードが出た状態でのカーブなどもあって、コースレイアウトも工夫されていたと思われます。更には、ライドを4人乗りにして、コースを2つ並列で走らせることによって乗車効率を高めています。

にもかかわらず、コースへの負荷が原因で、1コースに同時に2車両を走らせることができなかったらしく、回転率は思うように上がりません。加えて、フリップ・フラップ・レールウェイの評判の悪さもあってか、人々は乗ることよりも見ることを好んだために、思うような収益が上がらなかったようです。そこで、途中から「見学料」も徴収するようにして、一時は財政的に持ち直したようなのですが[3]、それも一巡すれば飽きられてしまって、経営的に苦しくなり、1910年には解体されてしまいます。やはり、ループ一発勝負では、珍しい物好きが一度乗車してみることはあっても、リピーターを獲得できないために経営的にはうまくいかないんでしょう。

乗り心地もやはり良くはなかったようで、どうみても小さすぎるループからして、相当キツい乗車感だったことが想像されます。

コニーアイランドのループ・ザ・ループ
コニーアイランドのループ・ザ・ループ。著作権切れのため転載可、この画像のダウンロード元はwikipedia

 

同じ1901年には、コニーアイランドのループ・ザ・ループと同じ設計者によるループ・ザ・ループが、アトランティック・シティにオープンしています。こちらも鉄製のようですが、見た目はフリップ・フラップ・レールウェイそっくりです。

アトランティック・シティのループ・ザ・ループ
アトランティック・シティのループ・ザ・ループ。著作権切れのため転載可、この画像のダウンロード元はwikipedia

1908年には、フリップ・フラップ・レールウェイの設計者が、ループ・ザ・ループというコースターをオハイオ州コロンバスの遊園地にオープンさせています。こちらは見た目がコニーアイランド版ループ・ザ・ループそっくりで、鉄製とのこと。wikipediaの画像は各種書籍との対応も取れるのですが、これはどうも大元の書籍が取り違えているような気もします。が、一応画像は載せておきます。

コロンバスのループ・ザ・ループ
コロンバスのループ・ザ・ループ。著作権切れのため転載可、この画像のダウンロード元はwikipedia

いずれも1912年には営業を終了しています。このあと、垂直ループを有するコースターが世に現れるのは、なんと1976年になってから(上下反転するコースターという括りでも1975年!)。60年以上も歴史に空白が生じてしまうのです。その後のコースターの歴史を見ても、やはり垂直ループはコースターを楽しくするための1つの要素(エレメント)であって、それだけを楽しむためのコースターにしてはいけない、ということなのでしょう。

 

 

3. ジャンプするローラーコースター

ローラーコースターのレールが途中で途切れていたら…。

そんな想像は誰しもがするのではないかと思います。当然、初期のローラーコースターでもそういう想像をした人がいて、実際に作られてしまいました。

途切れたレールの間をジャンプして通過する、キャノンコースター(Cannon Coaster)という名前のコースターが、1902年コニーアイランドに製作されています。別名をリープ・ザ・ディップ(Leap the Dip)と言います。こちらのほうが、「窪みを飛び越えろ!」といったニュアンスなので、わかりやすいかと思います。

コニーアイランドのキャノンコースター
コニーアイランドのキャノンコースター。著作権切れのため転載可、この画像のダウンロード元はwikipedia

しかしながら、ごくごく当然のことなのですが、砂袋を車両に乗せてテストをしていたところ、砂袋を乗せる位置によって車両の重量バランスが変化するために、ジャンプしている間の車両の姿勢が変化してしまい、場合によってはクラッシュしかねないことが判明。結局テスト中に途切れたレールは繋がれてしまい、ごく普通のコースターとしてオープンすることになってしまいます。

普通のコースターとしては何も面白くないものだったらしく、「テストに失敗したヤバいコースター」という悪評も立って、人気は低迷。1907年には営業を終了してしまいました。

 

当然ながら、風による影響などによって、着地点も少し変化します。こうした事情もあって、レールを上、横、下から車輪で挟み込んでいる現在のローラーコースターでは、「ジャンプ」エレメントは絶対に作れません。安全関係の仕組みが出来上がっていない時代だったこそできた、無謀な冒険だったのです。

ただし、ユニバーサル・スタジオはそれを錯覚によって実現しようとしています。車両の下に見えるレールをフェイクにして、実際には別のレール状を走行する車体からアームを伸ばして、そこにライドをくっつけてしまえば良いのです。これはドンキーコングエリアに作られると言われているコースターに採用されるかも、というもので、おそらくオーランドに作られるのではないか、という噂です。ちなみに、普通にそのような構造を作ると、山の頂上や谷、カーブなどで違和感のある加減速が発生してしまうため、そこをユニバーサルがどうやって解決してくるのか、見ものです。

また、単にレールが途切れているという意味では、例えば台湾の台中市、Discovery WorldにあるGravity MaxというVekoma社製2002年オープンのコースターがあります。これは巻き上げ後に水平になったところでレールが途切れていて、途切れているところの手前で一旦停車。レールごと90度前向きに倒れ込んで、ドロップのレールと接続されたあとにブレーキが解除されて走り始める、というものです。

あるいは、最近流行りの機構としては、コースの途中でレールが途切れていて、そこで一旦停止するとレールごと5~10 mほど落下。落下した先で別のレールにつながる、というものもあります。有名所ではフロリダ州オーランドのユニバーサル・スタジオ・アイランズ・オブ・アドベンチャーに2019年設置されたハグリッドのマジカル・クリーチャー・モーターバイク・アドベンチャーがあります。

 

ちなみに、実際にジャンプする動きが営業運転に取り入れられていたとしたら、車両にもレールにもものすごい衝撃が繰り返し加わることになりますので、金属疲労でいつかは事故を起こしていたと思われます。別の理由ではありますが、人を乗せずにトライしているときに、危険性に気づいて良かった。

 

 

4. バイク型コースター

最近多数製作されているバイク型コースターも、そのオリジナルは初期のコニーアイランドへと遡ることができます。

とはいえ、当時はまだバイクなんてありませんでしたので、厳密に言えば「バイク型」ではありません。19世紀末、またがって乗るものといえば、そう、馬です。

今となっては、馬にまたがって乗る遊園地のアトラクションといえばメリー・ゴー・ラウンドを思い浮かべますが、当時はいろんな馬に乗るアトラクションがあったのです。

 

最初の例は1897年、コニーアイランドにできた2つ目の遊園地スティープルチェイス・パーク(Steeplechase Park)のメインアトラクション、スティープルチェイスでした。スティープルチェイス・パークは、入場料を払えば全アトラクションに乗車できた、いわゆるフリーパス方式を採用したことでも有名な遊園地です。また、としまえんのカルーセル・エルドラドも一時期このパークにありました(もともとはファサード付きの、より豪華なものだったらしいのですが、スティープルチェイス・パークに設置された際にファサードが外され、現在の形になったようです[4])。

さてそのスティープルチェイス、6つのレーンで同時に走行する、いわゆるレーシングタイプのコースターでした。アップダウンはそれほど激しくなくて、むしろ馬に乗って競争する感覚を楽しむアトラクションです。

レールは比較的高い位置に2本あり、それにまたがるような形で馬型のライドを設置、さらにその上に乗客がまたがるという形式でした。ライド形状は、いわゆる跨座式モノレールのようなイメージです。

乗車定員は2名で、親子にもカップルにも楽しめる、万人向けのコースターでした。

スティープルチェイス
スティープルチェイス。著作権フリーのため転載可。この画像のダウンロード元はwikipedia

このコースターは1907年の火災で消失してしまいますが、1908年に4レーンで復活。その後、うち2レーンが1939年の火災で消失しますが、残り2レーンは1964年のパーク閉園まで稼働。その後、フロリダに移設されて4レーンで復活、1973年まで稼働を続けました。他のキワモノとは違う、「楽しめる」コースターだったのです。

実際、ケニウッド(Kennywood)を始めとするいくつかの遊園地にも類似コースターが設置されましたし、なんと1976年になってから、Arrow Dynamics社が跨座式スティープルチェイスを製造しています。2機製造されたうちの1機は、現在でもイギリスのブラックプール・プレジャー・ビーチ(Blackpool Pleasure Beach)で稼働中です。

 

バイク型としては2016年、上海ディズニーランドの開園と同時にオープンしたTRONが有名ですが、これはVekoma社が2004年から製造しているモーターバイク・コースターシリーズの派生系。

鈴鹿サーキットに2020年オープンしたGP Racersは日本の豊栄産業製ですし、スイスのインタミン社は2007年から、イタリアのZamperla社は2008年から製造、さらには複数の中国メーカーも作っていたりと、まさに群雄割拠状態。

乗車姿勢を変えてみたコースターは数あれど、ここまで成功したのはスティープルチェイス系だけなのではないかと思います。やはり、またがった状態で前傾して乗車する姿勢というのは、スピード感を感じやすくて、楽しそうに見えるのでしょう。

 

 

5. 電動コースター

ただでさえスリリングなローラーコースターを、電気の力で加速させてみたらどうなるのか、というのもやはり、いつの時代の人も考えることのようです。

20世紀初頭には、サード・レイラー(Third Railer, いわゆる第三軌条方式のこと)と呼ばれる電動コースターがありました。これは、通常の2本のレールに加えて、高電圧を印加した第3のレールを用意、通常のレールをアースとして使って直流の電気を取り出すものです。日本では一部の地下鉄などで採用されています。

現代のパワードコースター(Powered Coaster, 子供向けに多い車両にモーターを内蔵したコースター)に似た形式です。これが1900年代の初頭には作られていたようなのです。第三軌条方式が鉄道の営業運転に採用されたのは1883年のことですから、コースターへはかなり早い時期に応用されています。

 

ただし、子供向けに作られている現代とは違って、当時はスリルを求めて作られていました。しかも、当然ながらコンピュータ(あるいは簡単な論理回路)を必要とするような複雑な制御はできません。

サード・レイラーには、「運転手」のような人が乗車していました。モーターによる加減速を、人がフィーリングで操作していたのです。「どこでどの程度の速度を出す」といった決まりもなく、運転手にすべてが任されてしまっていたため、運転手による当たり外れがかなり激しかったようです。

上手い人に当たればスムーズな乗り心地が得られる一方、荒っぽい人に当たると爆走してしまう。下手な人だと谷間で動けなくなるようなこともありました。

そんなわけで、それほど普及することはないままに、いつしか姿を消してしまいます。

 

それでもあえて取り上げたのは、現代のいくつかのタイプのコースターにも似た考え方が適用されているのと、普及しなかったことから学べることもあるからです。

サード・レイラーに似た構造は、上にも述べたように、現代でもパワードコースターとして生き残っています。これは主に子供向けです。子供向けになっているのには、いくつか理由があります。

  • チェーン巻き上げには必要な直線区間が不要なので、狭い敷地に設置できる
  • 短いコースに長い車両を走らせても途中で止まらないので客ハケが良い
  • 1車両のみであれば低コスト、複数車両導入すると高コスト
  • 同時に複数車両走らせるためには工夫が必要
  • 「重力にしたがった走行」をさせるためには工夫が必要

特に最後の項目は、大人向けのコースターとしては致命的です。パワードコースターは、上りではモーターが力を発揮して車両を前へ進めてくれますが、下り坂に差し掛かるとモーターがブレーキの役割を果たしてしまいます。このため、重力にしたがって坂を下るためには、

  • 回路をどこかでショートさせる
  • それっぽい駆動力をモーターに与える
  • 駆動輪をレールから離す
  • クラッチを仕込んでおいて、クラッチを切る

といった工夫が必要になります。いずれもコース途中で制御が必要ですから、仕組みが複雑になってしまいます。

 

サード・レイラーが普及しなかった理由は、ここにもあるのではないかと思われます。もちろん、高コスト(第3線敷設コストは大したことありませんし、運転手もブレーキマン代わりだと思えば問題なさそうです。最大の問題は発電設備か)、安全性(レールに降りると感電の恐れ)といった問題もありますが、それでも乗客が集まれば導入してしまっていた時代です。

最大の問題は「面白くなかった」ことでしょう。特に工夫されていなかったであろう車両は、下り坂に差し掛かっても通常のコースターほど加速しなかったはずです。これは、重力にしたがって落下する感覚や、コースレイアウトの妙による浮遊感などを期待した人々にとって、期待はずれだと思われたのではないでしょうか。

やはり、極限まで走行抵抗を減らした車両を使って、位置エネルギーをほぼ全て運動エネルギーへと変換しながら滑走することこそ、ローラーコースターの最大の魅力なのです。

 

一方で、大人向けのコースターであってもコース途中で車両を加速させてスリルを増したい、という考えは現代でも共通しています。そこで用いられているのがリニアモーターです。リニアモーターを使う場合は、車両に電力を供給する必要がありません。このため、車両側の仕組みも簡単ですので、複数車両導入しやすいですし、1つのコース上を複数の車両が走ることもできます。何より、モーターのブレーキ効果がありませんので、自然な落下感も味わえます。

こうしてサード・レイラーの仕組みも理念も、現代に生きているのです。

 

 

6. スピニング・コースター

この項は、ほとんどを参考文献によらず、画像と年代記録のみを元にした、いわゆる「独自研究」です。

ライドがレールの上でコーヒーカップのように自由回転するスピニング・コースターも、その原型は1906年にオープンしています。

Ticklerというコースターで、まるで巨大ピンボールのように、大きな斜面の途中にいくつかのポールが立っていて、それらにぶつかりながら、時には他のライドにぶつかりながら落ちてくる、というものでした。

1907年にはニューヨークのコニーアイランド内ルナパークに進化版Ticklerがオープン。レールのない、サイドフリクション的な柵だけで作られたコースを、丸いライドに乗って下っていきます。ライドの下にはオフィスチェアなどのキャスターのような車輪がついていて、自在に回転しながら下っていく形。遠心力でライドが回転するというよりも、柵にぶつかって摩擦で回転する、という要素が強そうです。

Tickler
Tickler。画像は1909年シアトルの博覧会に設置されたもの。乗車は1回10セントだったことがわかります。乗客よりも観客の多さに驚きです。観客に見せるためなのか、あるいは周囲の地形に合わせるためなのかはわかりませんが、アトラクション全体が下駄を履いて一段高くなっています。著作権はおそらく消滅。この画像のダウンロード元はflickrです。

このライドは、スリルがあったのはもちろんのことですが、見た目からもわかる通り荒々しい乗り心地で、乗車後にはぐったりしてしまう人も多かったとか。それでも画像の通り人気を博し、1907年の開業後1年間で4万ドル(ルナパーク版も1回10セントだったとすると、40万人に相当)の売上があったそうです。

 

1908年には、より進化したバージニア・リール(Virginia Reel)というコースターがルナパークに登場します。最初はTicklerと同じく、サイドフリクションのみの状態でした。Ticklerとの違いは、車台の上でライドが自由に回転できるようにしたこと。車台はサイドフリクションに沿って回転せずに走行して、上のライド部だけが自由に回転します。

このようにしたことで摩擦も減り、より高速化できたものと思われます。このため、Ticklerのようなジグザグの動きだけでなく、終盤には水平ループのような動きや、ドロップもありました。現代のワイルドマウス型スピニングコースターに非常に近い形になっています。

バージニアリール遠景
1910年オンタリオ・ビーチ版バージニアリールの遠景。著作権切れのため転載可。この画像のダウンロード元はwikipediaです。

バージニア・リールは大ヒットして、世界各地に類似品が作られます。その過程で進化して、レールが設置されたり、ライドの横に歯車状の縁をつけて、それとサイドフリクション横の突起が噛み合って強制回転するようになったりと様々なバージョンが生まれました。

 

これも歴史的には間が飛んでしまうのですが、現代になってもReverchon社のワイルドマウス型スピニングコースターを皮切りに様々なスピニングコースターが作られ、大型のスピニングコースターまで作られるようになっています。

重力を使って走行するローラーコースターだからこそ、その重力をライドの回転など、速度以外へと変換する工夫もやはり楽しそうに見えますし、乗ってみると実際に面白いのだと思います。やはりローラーコースターの本質は、いかに重力を扱うかであって、そこに面白い工夫を施すことができれば多くの人を集めることができるようです。

 

 

7. その他のキワモノ

その他のキワモノをいくつかご紹介しておきましょう。

・螺旋状のレールを、回転する板に押されながら登っていく形のリフト部

これは、現在で言うスパイラルリフトとほぼ同じ機構です。日本では、よみうりランドスピンランウェイが採用しています。

 

・走行中に前輪と後輪のレールを分けて前輪が後輪より長い距離を走行するようにすることで、走行方向が前後反転するコースター

この仕組自体は(おそらく)現在はありませんが、走行途中の山を上りきれずに一旦停止して、バックして下っていくと、それまで走行していたレールからは切り替わっていて別のコースを走行していくことになる、といったタイプのコースターは現在も作られています。ウォルト・ディズニー・ワールド、アニマルキングダムエクスペディション・エベレストが代表例。

 

・コース途中でプラットフォーム上を通過するコースター

これは待っているお客さんにスリルやワクワクを演出するための仕組み。現代でもDollywoodのThunderheadというコースターに、フライ・スルーというエレメント名で存在しています。

 

・螺旋状の窪みがついたチューブを回転させることで、チューブの中にあるライドを頂上まで持ち上げる

よくこんな巻き上げ方法を思いつくもんだ、と感心してしまいますが、さすがにこれは現存していません。強いて言えば、ビー玉をコースに沿って落下させるようなタイプのおもちゃにあったような…。

 

というわけで、この時代に作られたキワモノコースターたちは、アイデア自体は決して無茶なものではなくて、現代にも存在しているものばかりです。と言いいますか、現代のほうが技術が発展して、ある程度無茶なものも作れるようになった結果、無茶をしていた時代のアイデアを安全に実現できるようになった、というのが本当のところなのかもしれません。

 

 

8. 時代と文化的背景

こうしたキワモノコースターが生まれた背景も見ておきましょう。

アイデアがあればとりあえず作ってみる、安全性はあとから考える、ということができた時代であったというのももちろんのことですが、これだけのチャレンジができた背景には新しいものを求めるお客さんのニーズもありそうです。

 

19世紀末のアメリカは、フロンティアが消滅、スペインとの戦争などを経て領土が固まりつつあった時代。単純に未開の地を切り開いていくような冒険は失われて、そうした方向に向けられていた意欲は、陸上での高速移動や空へと向けられていくことになります。

例えばライト兄弟の初飛行が1903年。翌1904年にはニューヨークに地下鉄が走っています。こうした冒険や移動への欲求は、1929年の世界恐慌まで続いていきます。1927年には、リンドバーグが大西洋無着陸横断を達成しています。

このような移動や冒険への欲求は大衆にもあって、その感覚を手軽に味わえる手段としてローラーコースターが人気を博していたのは間違いないでしょう。

 

さらに、この時代は発明の時代でもあります。先述のライト兄弟はもちろんのこと、19世紀末から20世紀はじめにかけてはトーマス・エジソンが活躍した時代で、白熱電球や発電機、映写機などが発明されています。やや時代はさかのぼりますが、1970年代にエジソンが蓄音機を発明した頃、グラハム・ベルは電話機の発明をしています。

少し規模の小さなものでは、ローラーコースターの生みの親、マーカス・トンプソンも継ぎ目のないストッキングを発明して富を得ています。このように、大発明が当たり前のように沸き起こっていた時代背景と、発明で一発当てて巨万の富を手にしてやろうという発明家たちの意欲が、キワモノコースター開発を後押ししていたのではないでしょうか。

 

参考文献[1]は、こうしたキワモノコースターのアイデアの源泉にはサーカスがあるのではないかと指摘しています。確かに1800年代終盤から1900年代初頭にかけては、アメリカのサーカスが曲芸に大型の器具を取り入れていた時代です。

坂を使った自転車のジャンプや、内向きに大きく傾いたコースを自転車で落下せずに走行し続ける芸、はては宙返りなどなど、様々な試みがなされています。遊園地なき時代の娯楽といえば、巡業で回ってくるサーカスがまっさきに思い浮かぶような世界ですから、多くの人がそれを見て、体験したいという思いを持っていたのかもしれません。

 

ちなみに、この時代はまだ日本に常設のコースターは設置されていません。日本初の常設コースターは1952年ですから、東洋のローラーコースターの発展はまだまだ先のことです。

ヨーロッパには、アメリカで人気を博したローラーコースターがいくつも輸出されています。バージニア・リールなんかも、もちろんいくつか設置されています。しかしながら、ヨーロッパから新たなローラーコースターが生み出されるようになるのは、やはりまだまだ先のこと。こちらも盛り上がってくるのは第二次大戦後です。

回転木馬を始めとするローラーコースター以外の遊戯機会に関しては、ヨーロッパも発展に大きく貢献しているのですが、ことローラーコースターに関してはしばらくアメリカの天下が続いていきます。

この点には、上述のような「発明ブーム」はもちろんのこと、従来からあったプレジャー・ガーデンや博覧会跡地の転用が主だったヨーロッパに対して、歴史が浅く、まだ街が作られていく過程にあったアメリカではリゾートや公園を新設することができて、敷地や「公園という概念」に弾力性があったことも関係しているのではないかと思います。

 

今回はキワモノコースターを中心にご紹介してきましたが、次回は王道のスリリングなローラーコースターの礎を築いた、「天才」にして「ローラーコースターの父」とも呼ばれる、ジョン・A・ミラーの生涯を軸に、彼が考案した技術とアイデアをご紹介していきます。

 

 

参考文献

[1] “The Incredible Scream Machine – A History of the Roller Coaster," Robert Cartmell, Amusement Park Books, Inc. and the Bowling Green State University Popular Press (1987).

[2] wikipedia “Flip Flap Railway" https://en.wikipedia.org/wiki/Flip_Flap_Railway (2020/7/5閲覧)

[3] “Ultimate Rollercoaster.com" https://www.ultimaterollercoaster.com/coasters/history/ (2019年6月19日閲覧)

[4] 「遊園地の文化史」中藤保則、自由現代社(1994)