カルーセルエルドラドだけじゃない! 貴重なとしまえんの遺産 ー ローラーコースターの歴史番外編

2020年7月26日



現在のホームは富士急ハイランドですが、生まれと育ちはとしまえん、ricebag(@ricebag2)です。

としまえんが2020年8月31日で閉園することが決まってしまい、それまでに一度は訪れたいと思いつつも、コロナの感染拡大状況もあって、都外在住の身としては行きづらくなってしまいました。

そこでせめてもの弔いとして、また、閉園前にこの記事を読んでくださった都内在住の方に少しでもとしまえんに興味を持っていただき、その思い出を心に刻んで頂く為に、ローラーコースターマニアの視点から、特に日本のローラーコースターの歴史という観点から、としまえんを論じてみたいと思います。

貴重なのはカルーセルエルドラドだけではないんですよ。そしてサイクロンはほぼ間違いなく移設不能なので、もう乗れないんですよ! (仮に移設されても、生前の魅力は絶対に味わえません!)

全編画像なしでお届けしていきます。

 

 

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1. としまえんの歴史をおさらい

今更こんなサイトで語るまでもないことですが、念の為、まずはとしまえんの歴史をサラッとおさらいしておきましょう。

としまえんは、もともとお城があったところの敷地が財界人、藤田好三郎氏の手に渡ったことで、公園・庭園として整備され、1926年にオープンしました。

翌1927年には日本初の常設シュート・ザ・シュートが導入されています。これは急流下り、フリュームライド系アトラクションの元になったライドで、水を撒いた斜面を下って池に着水するボート型アトラクション。としまえんが西武の手に移ってから西武園ゆうえんちに移設され、更に後年、西武系列のプリンスホテル等が出資、西武不動産が参画する横浜・八景島シーパラダイスに移設。なんと2018年頃まで、間に休業をはさみつつも開業から90年後まで営業されていた、脅威の長寿アトラクションです。これはかなり貴重だったのですが、営業終了はやむなし。なんてったって、現代のウォーターライドと比べればスリルはほぼありませんし、人力で岸壁まで移動したり巻き上げのふもとに移動したりするせいで尋常じゃなくハケが悪かったですから。

 

その後は、遠藤嘉一氏の日本娯楽機械(後のニチゴ)が元請けとなり、山田貞一氏らの東洋娯楽機(後のトーゴ)に再委託する形(契約上のかっちりした形だったかどうかはともかく)で、1937年から3年ほど遊具機械の設置・運営(今で言う遊園地の委託運営のような形)を行っています。

この件を契機に、東洋娯楽は多摩川園や向ヶ丘遊園、浅草花やしきの委託運営を担い、日本の遊園地産業を牽引する企業へと発展していきます。この時期が、としまえんにとっては本格遊園地へと脱皮するための、東洋娯楽にとっては実績と経験を積むための重要な時期となりました。

 

1965年にはトーゴの傑作ローラーコースター「サイクロン」導入。日本初のローラーコースターが1952年宝塚新温泉(後の宝塚ファミリーランド)「ウェーブコースター」、翌1953年に国内現存最古の浅草花やしきのコースターが設置されていますから、比較的早い時期に導入していたことがわかります。詳細は後ほど。

 

1966年には日本のダークライドの先駆けとなる「ミステリーゾーン」、1969年にはより大規模なダークライド「アフリカ館」が導入されます。これは明らかに1961年開園の奈良ドリームランド、1964年開園の横浜ドリームランドに影響を受けたものでしょう。唐突にテーマパーク志向となりますが、すぐ遊園地に回帰。

1971年にはかの有名なカルーセルエルドラドを導入しています。これは1907年ドイツ製。オクトーバーフェストを始めとしてヨーロッパ内を転々としたあと、1911年ニューヨーク・コニーアイランド内の遊園地「スティープルチェイス・パーク」に移設。もともとはファサード(この場合は飾り立てられた囲い)の付いた、より豪華で外見上大規模なものだったようですが、スティープルチェイス・パークでファサードは取り外され、別体保管後解体されてしまいます。1964年にスティープルチェイス・パークが閉園したあと、保管されていたものをとしまえんが購入し、日本に輸入されました。製造は「カーニバルの王」ヒューゴー・ハッセ。豪華絢爛なカルーセル製造の第一人者でもあります。

 

1979年にはコークスクリューを導入。コークスクリューは、戦後初の車両が上下反転するエレメントを持つコースターです。1975年にアメリカで設置、日本では1978年に谷津遊園が設置した翌年にとしまえんが導入しています。

さらに1980年にはシャトルループを導入。こちらは垂直ループを持つコースター。1979年の横浜ドリームランドについでの導入となります。

1982年にはブラワーエンジンを導入。マックライド社製のパワードコースターです。これは日本では珍しい、やや大型のパワードコースター。

 

1984年にフライングパイレーツ導入。大型の2連パイレーツで、観覧車を持たないとしまえんの顔とも言える存在です。

この前後から、どうもとしまえんの導入機種が怪しくなりはじめます。「かぶり」がやたらと多くなるのです。もちろん、フライングパイレーツはパイレーツとかぶっていました。

他にも、例えば円盤が回転して、その上に乗っているライドがプラスアルファの動きをするようなアトラクションとして、「ブレイクダンス」「フリッパー」「カリプソ」「ティップトップ」がありました。

回転するアームにライドがぶら下がっている系は、「メガダンス」「マジック」「スイングアラウンド」「トロイカ」。

「トップスピン」はなぜか2機横並びで設置。これらの大部分+「イーグル」「エンタープライズ」はドイツのフス社製。代理店に丸投げでもしていたのかわかりませんが、狭い敷地だからといって同じタイプのアトラクションをこんなに並べるのは、さすがにやりすぎです。

フス社のゴタゴタ(アメリカArrow社の買収・合併と破産、さらに会社分割後のフス社ももう1度破産)もあり、おそらく膨大な重量と負荷を可動軸で支えるためにメンテナンス費用がかさむこともあってか、これらのアトラクションが固まっていたエリアごと閉鎖という事態が2回も発生します。

ちなみに、子供向けの車系ライドも、「アンチックカー」「ユーロ2006」「ループ2000」「カーメリーゴーランド」とかぶりまくり。確かに対象年齢や内容が少しずつ違うのですが、それにしてももう少しバリエーションをもたせましょうよ、と言いたくなる構成です。

 

さらには西武グループの創始者、堤康次郎の三男で西武鉄道を継いだ堤義明と、四男でとしまえんを継いだ堤康弘の兄弟喧嘩を発端として池袋-豊島園間の直通運転がなくなって、豊島線が池袋線から切り離されてしまったり(しかも大江戸線もない時代に)、正社員を中心とした雇用体制がたたって固定費がかさみ、来園客数減少という環境変化に対応できなかったりした結果、2004-2005年にかけて会社組織を再編せざるを得なくなります。

このとき、社員全員の転籍を実施。人件費圧縮のためによく取られる手段ですので、おそらく社員の待遇を大幅に引き下げたものと思われます。

その後再起を図ってはいたものの、やはり大型アトラクションの更新も進まず(それほどの余裕もなかったか)、2020年8月31日をもって閉園することが決まってしまいました。

 

サッと歴史を振り返ると書いていた割には少し長くなってしまいましたが、それではいよいよとしまえんの歴史的・文化的・技術的にスゴいところを見ていきましょう。

 

 

2. 立体化とミッドウェイ

現代のとしまえんの最大の特徴は、やはり立体化されたアトラクションや施設でしょう。

1階にレストランや遊戯施設があって、屋上にアトラクションが設置されている。このため、こうしたアトラクションは通常よりも高さを感じることができます。しかも土地を有効に活用できている。

このようなやり方は、ナガシマスパーランドのフライングパイレーツや、ひらかたパークでも見ることができます。特にひらかたパークは後発でリニューアルしたこともあって、かなり洗練されています。

いずれにしても、このように建物の上にアトラクションを作ることで、建物がファサードや少ししっかりしたキューラインのような役割を果たして、乗車するまでにワクワク感を高めてくれます。このようなファサードやキューラインの作り込みというのは、特にアメリカの遊園地ではトンプソン氏のシーニック・レイルウェイに端を発して、現代でも多く見られます。そういう意味で、古典的なアメリカの遊園地っぽさがあったのです。

 

また、カーニバルゲームの存在も特徴的でしょう。複数人で競争したり、得点を競ったりするゲーム(縁日屋台の発展版のような内容)が多くあって、各回の勝者はぬいぐるみなどの景品をゲットすることができました。これをとしまえんほど数多く取り揃えていた遊園地は、日本には他にないのではないでしょうか。

このようなカーニバルゲームの集合体は、狭義の「ミッドウェイ」と呼ばれます。ミッドウェイというのは、もともとは1893年のシカゴ万国博覧会以降に広く使われるようになった言葉で、「遊園地エリア」的な意味合いを持っていました。これが広義のミッドウェイです。

その後、徐々に意味合いが狭まって、カーニバルゲームの集合体を指すように変化しています。例えば東京ディズニーシーの「トイ・ストーリー・マニア」は、原題はToy Story Midway Maniaといって、ミッドウェイという言葉が挟まっています。アトラクションの内容からもおわかりの通り、カーニバルゲーム・マニアということを言っているわけで、ミッドウェイを略してしまうと何が何やらわからなくなるのですが、日本ではそもそもミッドウェイという言葉が知られていないことに配慮して外されてしまっています。

このように狭義のミッドウェイを設置したのも、「古き良き」アメリカの遊園地に近いものです。ただし、日本の気候にあわせて建物内にしていた点も見逃せません。本当なら、屋外の広い通路の両サイドに配置することでギャラリーを発生させて盛り上げたいところなのですが、日本の場合は雨が多いのでそうもいきません。あえて建物内にすることで、突然の雨でもお客さんは楽しめて、遊園地側は追加収入が得られる。アメリカの遊園地を日本にローカライズした、典型的な施設だったと思います。

 

フス社の回転系アトラクションも、外観はアメリカの遊園地や、ヨーロッパの移動遊園地を思わせるド派手なものでした。川沿いに作られているというのも、初期のアメリカの遊園地で流行した「~リバーサイド」という名称を思い起こさせます。

アメリカンな雰囲気の遊園地を目指したのかもしれませんが、徹底しきれず中途半端に終ってしまっています。あるいは単に、遊園地のモデルとしてアメリカの遊園地を見ていたために、結果的に似てしまっただけなのかもしれません。

どちらにせよ、桜など日本らしい木々が植えられていたり、どこか雑多な印象を受ける配置だったりと、日本の遊園地っぽさを残しつつ、アメリカの文化を取り入れていた、和洋折衷の貴重な遊園地です。

 

一時期レストランに力を入れて、花火と食事のセットパッケージなども売り出したりしていました。味のレベルが全体的に中途半端に終わってしまいましたし、この取組は決してうまく行っていたとは言い難いような気もしますが(前述の花火パッケージはよく売り切れていましたが…)、ある意味ではフードテーマパークの先駆けだったのかもしれません。

 

 

3. トーゴ初期の傑作「サイクロン」

サイクロンというのは、そもそもはインド洋等で発生する台風を指す言葉ですが、これがローラーコースターの名前に使われる場合は、もはや別の概念と化しています。初期のローラーコースターには「サイクロン」や「ツイスター」、「~ディッパー」などいくつかの名前の系統がありまして、そのうちの1つだったのです。中でもサイクロンと名付けられたコースターには傑作が多かったことから、古典的なコースレイアウトを有するローラーコースターにはよくサイクロンという名前が付けられるのです。

としまえんのサイクロンがオープンした1965年当時は、サイクロンという言葉にそういた背景があるという知識も広く理解されてはいなかったでしょうから、それでもこの名前をつけたところに、やはりアメリカ志向を感じます。

 

さて、サイクロンはおそらく、トーゴが2番目に作ったコースター。1番は御存知の通り、1953年 浅草花やしきのローラーコースターです。

トーゴは前述の通り、一時期としまえんのアトラクション設置や運営を行っていたことがありますので、その縁で話が持ちかけられたのでしょう。

 

トーゴという会社も、アメリカの遊園地やローラーコースターをよく研究していました。このため、「19世紀か!」と突っ込みたくなるようなシンプルすぎるコースレイアウトや、雑なカーブのつなぎ方などが散見されていた時代にあって、唯一と言っていいほど現代でも楽しめるコースターを作っています。

アメリカのローラーコースターの歴史を辿ると、スリルがあって現代でも楽しめるローラーコースターが作られるようになったのは1920年代のことなのですが(もちろん当時は木製です)、日本のメーカーが作れるようになったのは、40年ほども後のことだったのです(こちらはスチールです)。

としまえんのサイクロンはスチールコースターではありますが、いわゆる現代型のスチールコースターではありません。木製コースターの木製部分を鋼に置き換えただけのものです。木製コースターと現代型スチールコースターの違いはレールにあります。木製コースターは基本的に平たい鋼のレールを敷いて、その上を車輪が走るのに対し、現代型の木製コースターはチューブ状のレールを上下横から車輪が挟み込むような形になっています。チューブ状のレールは1959年に開発されていますが、サイクロンは平たいレールを使っています。トーゴと同年代に活躍することになるシュワルツコフ社も、1960年代の初期には平たいレールを使っていますから、こちらは別に遅れていたわけではなさそうです。ちなみに平レールのコースターは、今でも浅草花やしきのローラーコースターはもちろん、浜名湖パルパルのジャングルマウス、ブラジリアンパーク鷲羽山ハイランドのチューピーコースターなど、いくつか残っています。

しかも、レールを下から押さえるような車輪(アップストップ)はレールから少し離れているようです(なかなか近くで見られないもので、もしかしたら間違っているかもしれません)。レール上を走る車輪とレールを内側から横向きに押さえる車輪は同じ車軸に乗っているのですが、アップストップは別に車両から伸びているようです。これはもしかしたら、あと付けしたのかもしれません。

 

また、車両の構成は、現代でいう「マイントレイン」のような形です。現代型のローラーコースターは、大抵の場合、車輪が1両あたり1対しかありません。前輪か後輪しかなくて、あとは連結部だけで姿勢を保持しているんです。このような機構は1920年代にフレデリック・チャーチという人が採用して以来、サイクロンの後にはシュワルツコフ社が使うようになって一般化したのですが、サイクロンの時代はまだまだ前輪と後輪がともにあるのが一般的。サイクロンもご多分に漏れず、前輪と後輪が共にあります。この構成ですと、前輪と後輪の間の距離(ホイールベース)や連結部が長くなりがち(カーブでの前輪と後輪の接触を避けるため)で、どうしても急カーブを曲がりにくくなるため、コースレイアウトに制約を生じます。

また、丸太をくり抜いたような車両にクッション性の高い座席も特徴的。クッション性のある座席はかつての木製コースターの振動が大きかったこともあって、単なるおもてなしだけでなく乗り心地向上の目的もあって設置していたと思われます。サイクロンの場合は比較的レール敷設の精度、カーブの設計ともに良くて乗り心地が良いですので、ポリカーボネートの座面や硬めのクッションでも全く問題ないように思うのですが、おそらくこれも木製コースターをベースに作ったためにこうなっているのでしょう。

 

コースレイアウトは、比較的単純な「アウト・アンド・バック」と呼ばれる構成に近いです(行きと帰りの並走区間こそありませんが)。直線状に2回のドロップがあり、右に曲がると再び直線状に3回のドロップ。最後に左方向に270度旋回して、駅舎に戻ってきます。「ドロップ感」やキャメルバックでの適度な「浮遊感」を大切にして、カーブでの速度にも考慮しながら丁寧に設計された良コースターなのです。

コースの途中では2回川を渡りますし、最初の2回のドロップ脇には桜も植えられています。中盤の連続ドロップでは右手に川、左手にプールを見ることができる。さらに、終盤の横旋回は真っ暗なトンネルの中。わずか822 mのコースながら、非常に変化に富んだ景色です。トンプソン氏のシーニック・レイルウェイ以来続く、単にスリルを求めるだけではなく、景色や人工的な視覚の作り込みを重視する流れを汲んでいます。

最高点18 m, 落差も大体同じくらい(最後部で少し下りながら速度をつけますが、ファーストドロップ最下部が地面より低く掘られているので、落差はファーストドロップ前の高さよりも大きい)、角度は45度、最高速度65 km/hといったあたりも、1920年代のローラーコースターに近い値です。

 

その後のトーゴは、シュワルツコフをお手本にしながら発展していきますので、としまえんのサイクロンは花やしきのローラーコースターとあわせて、日本のローラーコースター史の中では特異点的存在です。しかしながら、当時見様見真似でこれだけのコースターを作ったというのは、特筆に値しますし、日本のローラーコースター史を語る上では欠かしてはいけない存在です。

残念ながら地面よりも低い位置を走行する部分が多いので、平地に設置しようとすると、駅舎が無茶苦茶高い位置になってしまうか、あちこち掘り込まないといけなくなります。さらに、川を渡る部分の扱いが難しいですし、何よりこの景色がなければこのコースターの楽しさは半減以下になってしまいます。そんなわけで、営業終了後の移設は難しいでしょう。

日本のコースター史に1ページを刻んだ、貴重なローラーコースターがまた1つ失われてしまいます。寂しくはありますが、時代や文化は移ろいゆくもの。としまえんの入園者数を考えれば、サイクロンもその役目を終えたということなのでしょう。

 

 

4. コークスクリューとシャトルループ

コークスクリュー、シャトルループ共に、日本初の導入とはなりませんでしたが、それでもこの2機を導入したことには歴史的に意義があります。

としまえんは、アメリカのナッツ・ベリー・ファーム、三重のナガシマスパーランドと並んで、コークスクリューとシャトルループを両方設置した数少ない遊園地となりました。余談ですが、としまえんにあったフライホイール型シャトルループは、全8機製造されたうち、4機が日本(横浜ドリームランド、ナガシマスパーランド、としまえん、小山ゆうえんち、ナガシマのみ現存)という恐ろしい状況になっていました。この時代の日本の購買力、アミューズメント業界への投資余力を感じさせます。

ちなみに、コークスクリューとシャトルループを両方持ったことには、アメリカ型のループコースターの元祖Arrow社と、ヨーロッパ型垂直ループコースターの元祖シュワルツコフ社の2つを揃えていたという点で意義があります。両者は1年差でループコースターを実現した会社で、Arrow社はスチール製ローラーコースターを開発、さらに超大型コースターも実現した会社、一方のシュワルツコフ社はコンパクトで移設しやすくもスリリングで乗り心地の良いコースターを開発した会社です。この2社の技術を組み合わせるような形で、現代の大型で乗り心地の良いコースターが実現していますので、そこに至る過程を見ることができる、貴重な遊園地だったのです。

特にシャトルループは、建物の上に設置されていたことで、高さ感を増した稀な構造でした。ループ部には謎の風防もあり、見た目は「当時の未来観」を表しているようで、独特のワクワク感があります。コンクリ打ちっぱなしや、直線的でかつガラスを多用していたり、建物自体にもやや未来感のある、他にはないシャトルループだったのです。シャトルループは2008年に閉鎖、売却されていますが、売却先で建設されずに再度売却されているようです。

コークスクリューの方は、比較的移設が簡単で、西武園ゆうえんちにあったループスクリューコースターをシンプルにしたような構成になりますので、西武園に移設してくれると良いな、と思っています。ルスツリゾート、八木山ベニーランド、ナガシマスパーランドと残っています(これで世界で作られた同型機14機のうち4機)し、設計も古いのであまり惜しい感じはしませんが、西武園に大型ローラーコースターがないので。。。

 

 

5. ブラワーエンジン

こちらはごくありふれたパワードコースターに見えますが、日本の中ではかなり異質な存在です。

日本にある、唯一のMack Rides社製パワードコースターなのです。モーターを内蔵したパワードコースターというと、子供向けで比較的コンパクトなものが多いのに対し、ブラワーエンジンはやや大型。

10両編成で38人が一度に乗車できるライドもさることながら、水平ループと8の字コースを組み合わせた全長260 mのコースも特徴的。

結構パワフルにスタートして、下り坂に差し掛かれば重力にしたがってしっかりと速度を増す。下り坂で速度を抑制してしまうタイプのパワードコースターが多い中で、しっかりとコースターの楽しみを味あわせてくれます。

水平ループは速度感、横G、垂直Gともにしっかりとしていて、子供向けというよりは、子供向けコースターから本格コースターへの橋渡しに最適な内容。地面スレスレで速度が出たりするので、疾走感も半端ないです。

この国内では貴重なタイプのコースターも、西武園に移設する気は無いようで、売りに出されてしまっています。おそらく海外に買われていくでしょうから、国内では乗れなくなってしまいます。

 

 

これだけいろいろな歴史が詰まった遊園地がなくなってしまうのは惜しいのですが、現代に合った、より楽しい施設ができることを願いつつ、未来に目を向けていきましょう。

 

本シリーズの目次はこちらです。