元祖大型キャメルバック「バンデット」in よみうりランド
こんにちは、ricebag(@ricebag2)です。
1988年登場という年代物のコースターでありながら、巻き上げ高さ51 m, 最大高低差78 m, 最高時速110 km/h, 全長1560 mという怪物級のスペックを誇るよみうりランドの「バンデット」。
数少ない国産大型コースターとして、いかにスゴい存在であったのかという背景知識を始めとして、コースレイアウトや乗り味などバンデットの魅力を余すことなくご紹介していきます。
爽快感: ★★★★★
振動の少なさ: ★★★★☆
スリル: ★★★☆☆
コースレイアウト: ★★★★☆
楽しさ: ★★★★★
総合得点: 85点
1. 日本のコースター大型化の歴史
1.1 1988年という時代
バンデットがオープンしたのは1988年。
これがどういう時代だったかといいますと…
前年の1987年にビッグサンダー・マウンテンがオープン。これで大騒ぎになっていたのですから、遊園地好きは置いておいて、日本の一般の方々にいかにコースターのスリルが浸透していなかったのか、おわかりいただけるかと思います。
コースター好きの観点から見ますと、シュワルツコフの傑作「シャトルループ」国内1号機が1979年に横浜ドリームランドにオープン。1985年に「ウルトラツイスター」1号機が後楽園ゆうえんちにオープン。1987年に「ビッグバーンコースター」が那須ハイランドパークにオープン、といった時代です。
富士急ハイランドに、同じトーゴ製の「FUJIYAMA」ができるのなんて8年もあと、1996年のことです。
この時代に50 m級のキャメルバックコースターだったバンデットは、日本においてはオーパーツ的存在なのです。
世界に目を広げてみても、その当時シダーポイントにもナッツベリーファームにも、シックスフラッグス系はもちろん、ヨーロッパの大手遊園地にも50 m級のキャメルバックコースターなんて存在しませんでした。
1988年に、シックス・フラッグス・グレート・アメリカに50 m級のループコースターというかなり変わったものが作られますが、上述の遊園地にキャメルバック大型コースターが登場するのは1989年シダーポイントのMagnum XL-200(60 m級)まで待たねばなりません。
そんな時代に、日本には巨大キャメルバックコースターがあったのです。どうしてそんなものがあったのか、少し歴史を振り返ってみましょう。
1.2 全長を競う時代からループを競う時代へ
日本のローラーコースターの歴史は、1952年宝塚のウェーブコースターに始まります。翌年の1953年には現存最古のローラーコースターが浅草花やしきにオープン。
大型化が始まるのは、1955年後楽園ゆうえんちの「ジェットコースター」から。オープン当初のスペックには最高時速約60 km/h, 全長550 m、取り壊し時点では最高時速55 km/h, 全長1500 mというスペックでした。
1966年には、富士急ハイランドに「ジャイアントコースター」がオープン。最高部高さ40 m, 全長1432 mで、全長の方は当時のギネス記録に認定されています。引田天功がイリュージョンを行ったことでも有名なこのコースターが、しばらくは日本を代表する大型コースターの地位を不動のものとします。
ジャイアントコースターのインパクトが強すぎたのか、その後の日本のコースターはスリルよりも全長を重視したようなものが目立つようになります。
例えば、おそらく1970年代製グリーンランドの「恐竜コースター(現ガオー)」は最高部高さ40 m, 最高速度90 km/h, 全長1600 mとなかなかのスペックながら、30°程度の浅い斜面がほとんどを占めていて、スリルはほとんどありません。
1970年の大阪万博(後のエキスポランド)に設置された「ダイダラザウルス」も、全長1,000 m級×5コースという驚くほどの規模がウリでしたが、こちらもやはりゆる~いドロップと水平ループなどのエレメント中心のまったりとした構成。
時代が変わるのは、1977年谷津遊園に導入された日本初のループコースター「コークスクリュー」からです。輸入品のこのコースターが明昌、泉陽など日本のメーカーにも火を付け、次々にループコースターが開発されていきます。
その中には、シャトルタイプと呼ばれる、途中で途切れたコースを前後に往復するタイプのコースターもありました。通常は、前向きに巻き上げられ、そのまま後ろ向きにドロップ、ループ、坂を登り、前向きにドロップ、ループを通過してゴールというレイアウトです。
そんなシャトルタイプのループコースターに異端児が登場します。それが1983年富士急ハイランドの「ムーンサルトスクランブル」。最高部高さ75 m, 巻き上げ高さ70 m, 最高速度105 km/h(90 km/hという説もあり), 最大荷重6.5 Gというなかなかにぶっ飛んだマシン。しかも最高速度も最大荷重も後ろ向きで記録するのでタチが悪い。これが、1997年のFUJIYAMA登場まで日本で一番高いコースターとして君臨し続けます。
おそらくコークスクリューブーム、シャトルループブームに乗り遅れた富士急ハイランドの苦肉の策だったのではないかと思われますが、シャトルタイプのコースレイアウトを複雑にしつつ巨大化した、当時としてはあまりにも巨大過ぎるスケールのコースター。凄まじいです。
海外に目を向けても、やはりループを含む複雑なコースレイアウトや突飛なアイデアが好まれた時代でした。
立ち乗り型や吊り下げ型、はたまたレールのないスイスボブと呼ばれるボブスレータイプなど、様々なタイプが登場しては消えていきました。
そんな状況下で、なぜ日本に突然大型キャメルバックコースターが登場したのか、メーカーの歴史も追いかけてみましょう。
1.3 トーゴのコースター
バンデットを製作したのは、トーゴという今はなきメーカー。
浅草花やしきのローラーコースターを始めとして、国内に数多くのコースターを設置しています。
さらには遊園地運営も手がけたメーカーで、かつては浅草花やしき、多摩川園などの運営を行っていました。
かつての遊園地は、それぞれ懇意にしているメーカーや商社があって、そこの商品を多数揃えていることが多くありました。
例えばトーゴをよく使う遊園地であれば、「ビックリハウス」や「ロックンローラー」、明昌・岡本系なら「トップガン」や「スーパートマホーク」といった具合に。
よみうりランドはまさにトーゴを愛用していた遊園地。トーゴの代名詞「ビックリハウス」はもちろんのこと、回転ボート、ロックンローラー、立ち乗りコースターなど往年のトーゴを代表するアトラクションが勢揃いしていました。
そんなわけで、大型コースターの企画が立ち上がったときに、トーゴが最有力候補になったのも想像に難くありません。
ちなみに、読売グループとトーゴとの関係は戦前、多摩川園の菊人形展や二子玉川園の運営委託にまで遡り、東急を間に介してつながりを持つという不思議な形です。その辺りのお話は「セピア色の遊園地」という本に詳しく紹介されていますので、ご興味のある方はぜひ。花やしきのローラーコースターに讀賣の名前がついていたり、江の島の初代灯台(なんと遊園地のアトラクションを移設したもの!)に讀賣の名前がついていたりと、何とも不思議な読売グループと遊園地との関係がストーリー仕立てで書かれています(もちろん読売グループ以外のお話もたくさん)。
さて、バンデット建設当時のトーゴといえば、1985年に、後にベストセラーとなるウルトラツイスターを発売、前後しますが1984年には立ち乗りコースターを輸出し始めるなど、事業拡大期にありました。
ただし、1988年前後は立ち乗りコースターやウルトラツイスターの設置が多く、大型のキャメルバックコースターは1992年の小田急向ヶ丘遊園地「ディオス」、1993年の横浜・八景島シーパラダイス「サーフコースター」までありません。
そんな中で、なぜキャメルバックが作られたのか。
その背景には、としまえん「サイクロン」の存在と、よみうりランドの敷地の制約がありそうです。
バンデットが建設されたのは、遊園地の中の狭い敷地と裏にある広大な山を組み合わせたエリア。
まとまった敷地ではないため、複雑なループエレメントを組み合わせたような当時最新鋭のコースレイアウトには向きません。特にループエレメントはしっかりとした地盤が必要になるにもかかわらず、よみうりランドの敷地は起伏があり、沼地や川もある。
遊園地側だけ使えばループコースターも作れそうですが、そうしなかったのはおそらく、大型化を求めるよみうりランド側からの要望でしょう。緑の多いよみうりランド特有の立地、敷地を活かしてくれという要望もあったのかもしれません。
そんな広大な敷地を、お客さんを飽きさせることなくハイスピードで駆け抜けるようなコースターが必要です。
さて、園内中心部と、それに垂直な園の端っこのエリアを組み合わせたコースターに、としまえんの「サイクロン」があります。これは1965年製と年代物ながらも、今乗っても十分に楽しめる傑作コースター。
その秘訣は、終始徹底したキャメルバック構成。しかも、序盤から終盤まで徹底してキャメルバックの底では地面に穴を掘る事で落差を拡大。スピード感を失わない構成になっているのです。
バンデットの場合は、地形を活かせば穴を掘るまでもなく、スピード感を維持した構成にすることができます。そんなわけで、よみうりランド側かトーゴ側かはわかりませんが、この案件が持ち上がったときに頭に浮かんだのが「サイクロン」だったのではないかと思うのです。
あとは、広大な敷地を使い切り、かつスピード感を失わせないためには必然的に高さをかせぐ必要があった。そうして後に「FUJIYAMA」の原型になったとも言えるような大型コースターが、1980年台に作られることになったのではないか、というのが当サイトの見解です。
2. バンデットのコースレイアウトと乗り味
メインステージのあるエリアから少し下ったところにある乗り場入り口から階段を上がり、乗り場を目指します。
ライドは横2人乗り×2列のものが7両編成。これが一応3編成あるのですが、よほどのことがない限りは2編成での運営。ブロックブレーキがあるので、一応コース中に2編成まで同時に放り込めるだけのキャパシティがあります。
ライドは丸太をくり抜いて作られたようなデザイン。
ハーネスはU字型のものを降ろしてくるタイプ。ももを押さえるだけのFUJIYAMAとは違い、頭まである背もたれとU字型ハーネスが窮屈感を感じさせます。
出発すると右に140°ほど回転し、チェーンによる巻き上げが始まります。
最高部からは、遠くスカイツリーまでも見渡すことができます。
のんびり51 mの高さまで登っていくと、少しだけ水平に走行した後ドロップ。
この頂上での走行距離が短いレイアウトも、FUJIYAMAと似通っている点の1つ。頂上で180°旋回をしないのは、当時としては珍しい構成です。
ファーストドロップは角度がそれほどでもないので浮きこそほぼありませんが、長い坂を一気に駆け下りて110 km/hまで加速するのは爽快以外の何ものでもありません。とにかく気持ち良い!
続いてややなだらかな坂を登り、ブーメランターンで180°左に旋回。ここも斜度がキツすぎないので、やはりスケールの大きさを存分に楽しめる爽快ポイント。
向きを変えてなだらかな坂を下ったら、続いて水平ループに突入します。
水平ループは、この規模のコースターには珍しいエレメント。これだけの速度で水平ループに突入しますと、旋回半径も大きくなりますし、コースへの負荷も大きくなってしまうのです。
このため、水平ループの中心部から梁を伸ばす、まるで木製コースターのような珍しい構造。
水平ループを下から上へと駆け上がっていくため、水平ループに入り始めたタイミングで最大のGがかかります。
トーゴは水平ループ使いのうまいメーカーではあるのですが、爽快感を重視したコースレイアウトの中ではここだけ異質。ちょっと荒々しいGを感じます。グッとGがかかって徐々に抜けていく感じは、個人的には好きなのですが賛否両論ありそうなところ。
水平ループを1周半駆け上がったら、一旦ドロップ。ここも速度が落ちきっていないので、ふんわりとした浮きを感じられます。
続いて右に90°ほどバンクターンし、山に沿って駆け上がっていきます。途中で一旦小さなドロップをはさみ、頂上へ。
この2段階で登る方式は、地形に合わせつつも間を持たせるために作られたものだと思われますが、後にFUJIYAMAでも同じようなエレメントがあることを考えると、意外とよくできてしまったポイントか。
実際、そこそこの浮きを感じることができます。しかも森の中なので気持ち良い!
さらに右に旋回しながらダム湖に向かってドロップし、長~い上り坂を登っていきます。
坂を登り終えると、右に150°ほど旋回。なぜかこのカーブの突入部のみ、急にRが変わっていて、かなりの衝撃が走ります。備えておかないとハーネスに耳をぶつけて痛いので、要注意。
旋回後、ブロックブレーキを通過してドロップ、小さなキャメルバック、左に90°バンクターンから少しホップして終了。
最後の畳み掛けも全く速度が落ちることなく、常に森の中を疾走し続ける爽快感がありつつ、山を超えるたびに浮きを感じる素晴らしい出来。
荒々しい部分も無くはないのですが、それもまたログコースターというテーマ性を考えれば、むしろあってしかるべきなのかもしれません。
首都圏にこれだけの規模の、これだけ爽快なコースターが存在している事自体が貴重。
めちゃくちゃ怖いコースターではありませんし、日常とはかけ離れたスケール感、スピード感にはやみつきになる部分もありますので、コースターが多少苦手であっても、ぜひともチャレンジして爽快感を体験していただきたい一品。
よみうりランドのアトラクション関係の記事は、以下のページにまとめています。
よみうりランドの経営方針解析等の記事は、以下のページからご覧ください。
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