ディズニーはなぜ、面白いアトラクションを作れなくなったのか ー 補遺



こんにちは、ricebag(@ricebag2)です。

以前「ディズニーはなぜ、面白いアトラクションを作れなくなったのか」という記事を、「ディズニーよりもユニバーサルのアトラクションのほうが面白いと思っている人の視点」から執筆しましたところ、多数のコメントを頂戴しました。おそらく記事の視点の違いから、私の主張た伝わっていないと感じられるコメントも頂戴することとなってしまいました。これは完全に私の文章力不足によるものです。そのまま記事を改定するだけでは、十分に意図をお伝えできないと思い、新たに記事を執筆することと致しました。

以前の記事の、もともとのコンセプトは、このまま行くとディズニーは世界トップのテーマパークブランドを維持できなくなる恐れがある、経営的に後退していく恐れがある、ということで、「どちらのアトラクションが上か」を論じるものではありませんでした。

以前の記事では、ユニバーサルのアトラクションが、いかにディズニーより優れているか、という視点で執筆しました。この記事では、逆にディズニーの最近のアトラクションに私が感じる違和感を論じていこうと思います。

 

 

1. アトラクションの肝は、体験者に「理解してもらう」ことである

テーマパークのアトラクションは、「体験」を売っています。

体験というのは、ライドの動きによる平衡感覚や加速度、速度等の感覚、視覚、聴覚、場合によっては嗅覚までも活用して、何らかの物語に乗せて伝えられるものです。

絵画や音楽、小説などと変わらない、むしろそれらを組み合わせた、ある種の大衆芸術です。

 

そこで大事になってくるのは、設計者がやりたかったこと、伝えたかったことが体験者に伝わって、感動を与えられるかどうか。

テーマパークの場合は、エンターテイメント大国のアメリカで育った産業だということもあって、資本主義の原理や経済性が根本にあります。

ということは、一部の人に理解されれば良い高尚な芸術ではなくて、広く色んな人に理解されるべき大衆芸術(造語です)なのです。

 

できるだけ多くの人に、そのアトラクションを体験することによる感動や、心を動かされるなにかを共有、理解してもらってなんぼの存在なんです。

ですから、アトラクションを作る側は、できるだけわかりやすく、理解されやすいように設計する必要があります。

ここまでは、あくまで私見です。以下ではこれまでの議論をベースに使っていきますので、以上の内容に同意頂けないようであれば、おそらく読んで頂いてもご理解いただけない内容になっているかと思います。その点、ご承知おきください。

 

 

2. ウォルトの思想 ー 「アニメーション」

ウォルトは子供向けだった漫画やアニメーションを、大人でも楽しめる大衆芸術へと昇華させた人物です。ですから、アトラクションであっても、人に想いを伝えるというのが非常に上手です。

ちなみに、ウォルトはおそらく、アニメーションの1つの形として、立体的な人形が音楽に合わせて動くオーディオアニマトロニクスを開発しています。劇場で絵が動くアニメーションを使うことも、自動で動く人形を使うことも、「命無いものにあたかも命があるかのように振る舞わせる(アニメーション)」という意味では同じですので、そこはシームレスに考えていたのではないかと思うのです。

オーディオ・アニマトロニクスの原型となった動く人形(ダンシングマン)

そうしたオーディオアニマトロニクスを使って作られたのがディズニーランドですから、ウォルトにとってはアニメーション映画を作ることも、ディズニーランドを作ることも、同一線上にあったことなのではないかと思います。ただし、アニメーション映画はキャラクターたちが銀幕の中で活躍するものであったのに対し、アニマトロニクスは体験者と同じ世界の中で動き回る、という違いももちろん認識して、その特性を活かすような作りになっています。

 

そういう観点で見てみると、初期のディズニーランドのアトラクションは、ストーリーテリングが非常にうまいです。

例えば「魅惑のチキルーム」では、事前にプレショーを見せることで、これからどんな体験をするのかの説明をして、劇場へと入る動機づけを行っています。そのうえで、音楽に合わせてリアルに動き歌う鳥たちを見せることで、驚きと感動、音楽の楽しさと行ったものを味あわせてくれますし、ショーとしてストーリーもしっかりしています。ゲストは歌い喋る鳥たちの世界に入り込んだかのような感覚にさせてくれます。

「白雪姫…」は映画を知らずに乗車すると、何が起きているのかわからないアトラクションではありますが、「ホラーライド」という観点で見ると何かわからないながらも何者かに追われ、怖い、恐ろしい体験をしているという印象を体験者に残してくれます。あくまでゲストは主人公になって、映画の世界に入り込んで体験することを重視しているのです。(元の記事とはちょっと違う捉え方をしていますが、その理由は追々説明します)

ちなみに「ピーターパン空の旅」もウォルト時代のアトラクションではあるのですが、現在のものはウォルト時代のオリジナル版からリニューアルされてしまっています。当初本家ディズニーランドにあったのは、ピーターパンが登場しない、ゲストがピーターパン視点でネバーランドを飛び回るというもの。主観で物語を見る、「没入感」を重視した設計になっていたのです。

 

まだテーマパークというものが挑戦的で新しい取り組みであった時代の、成熟されていない表現技法でこれらの試みが成功していたかどうかはともかく、ゲストは物語の主人公であって、そう感じられるように没入感を重視したアトラクション設計をしていました。

 

一方で、ライドに乗車する動機づけや、ストーリーの説明が難しい、ローラーコースターや汽車などでは、あえてストーリーの説明を一切放棄しています。当時の技術ではローラーコースターにダークライド風のストーリーを付けてしまうと、途中で速度を落としてそれを見るだけのシーンが挟まってしまい、チグハグになってしまいますからね。むしろテーマだけを設定して、あとはライドの動きを楽しむように作られています。

おそらく一部のアトラクションで取られた、この「あえて説明しない」という手法であったり、成熟しきっていなくてわかりにくい表現が、(私から見ると)曲がった形で解釈されて、現代へのアトラクションへとつながっているのではないかと思います。

 

 

3. 継承者たちの思想 ー ストーリーテリング

ウォルトの死後も、ある時期までは同じようにしっかりと内容が説明されるアトラクションと、あえて一切の説明をしないアトラクションとの作り分けが続きます。

例えば東京ディズニーシー版の「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」では、ファストパス合流後のキューラインでライドに乗車するための動機づけが行われて、アトラクションのストーリーラインもかなりはっきりとしています。さらにライドの動きでリアリティを付与して、ただのストーリーテリングではなく、驚きと感動をもたらしながら物語の中に入ったかのような体験をさせてくれるアトラクションに仕上がっているのです。

少し時代はさかのぼりますが、旧版「スター・ツアーズ」もキューラインで丁寧に宇宙旅行の港であるという説明を行い、プレショー(説明動画)でもある種現代の飛行機のような形で、宇宙港間を移動するフライトを行う、という説明がされていました。そのうえで、ストーリーはものすごく脇道に逸れていきますが、わかりやすいストーリーとリアルなライドの動き、更にはオーディオアニマトロニクスまで使って、ただのシミュレーターライドではない没入感を与えてくれるのです。

ハリウッドスタジオ版スター・ツアーズの外観。

こうしたアトラクションは、全てストーリーを「線」として伝えてくれます。そこにライドの動きやアニマトロニクスなどを駆使して、リアリティを付与してくれています。ストーリーの中に入り込んだ気分を味あわせてくれる。

こうしてわかりやすく伝えてもらえると、そのストーリーの線の周りに広がるお話を妄想したり、ifを考えたりして想像が広がっていきます。

アトラクションを楽しんで、更にその周辺に広がる「面」を感じて楽しんで。家に帰ってからも、もしこんな事が起きていたらどうなるんだろう、そのときに乗り物はどう動くんだろう、といったことを考えて楽しめる。

これこそがディズニーが大切にしているイマジネーションなのではないかと思います。そしてそれこそが、人々に伝わり、理解される大衆芸術としてのあるべき姿なのではないかと思います。

つまり、大衆芸術とイマジネーションには、ストーリーテリングと、それプラスαがもたらす没入感が重要になってくるのです。

 

 

4. 現在のユニバーサル・スタジオ

そういう視点で、現在のテーマパークの状況を見てみましょう。まずはライバルのユニバーサル・スタジオから。

これまでにも何度も取り上げている「ハリー・ポッター・アンド・ザ・フォービデゥン・ジャーニー」では、ライド乗車開始直後にハーマイオニーに魔法をかけられるという動機づけが行われて、その後も一本道でわかりやすい、テーマパークでは定番の巻き込まれ系ストーリーが続きます。それに合わせてライドは驚くべき動きをしながら、没入感の高い視野いっぱいに広がる映像も組み合わせて、物語の世界に入り込ませてくれます。

オリジナルが比較的古い「ジョーズ」でも、きれいな港町のボートクルーズに乗車するという動機づけ、ひたすらサメに襲われるというわかりやすいストーリーライン、周囲のものが動いたり爆発したりといった演出、船長の演技なども組み合わせて、しっかりと物語世界への没入を演出してくれます。

 

そもそもハリウッドのユニバーサル・スタジオは、スタジオのバックロットを見せるトラムツアーがウリだったこともあって、大衆芸術とはちょっと違うエンターテイメントを出発点としています。

にもかかわらず、多店舗展開を始めて以降(「ジョーズ」は2園目のユニバーサル・スタジオ・フロリダの開園時に設置されたアトラクションです)は、ストーリーの中に入り込ませてくれて、そのストーリーを「線」として伝え、体験者がその周辺に広がる「面」を感じ取り想像できるような、奥行きのあるアトラクションを作り続けているのです。

しかも、没入感を高めるために、随時全く新しいライドシステムを投入。往時のディズニーのように、ライドシステムからアニマトロニクスから映像・オーディオシステムまですべてを投入して、全力でストーリーラインの中に入り込ませて、物語を体験できるように仕向けてくれているのです。

 

ユニバーサルの課題は、世界の広がりをいかに見せられるか、というところだと思います。

「わかりやすさ」は流行るコンテンツの必要条件であって、十分条件ではありません。流行るコンテンツはおしなべて、キャラクターたちが体験者の頭の中で勝手に動き回るような、線の周りに広がる「広大な面」を想像させられるものです。

単純なダイナミクスだけではない、奥深く癖になるようなライドシステムであったり、短時間でわかりやすいながらもちょっとした余談を含むようなストーリーラインなど、もう一歩人の心に踏み込んだアトラクションが作られるようになると、無敵だと思います。本来は、これはディズニーが得意なところなはずなのですが…。

 

 

5.  現在のディズニー・パーク

一方のディズニー・パークはと言いますと、本来は創業者一族との関係も薄くなって、商業主義に走ってしかるべきなのですが、なぜかウォルトの思想を曲解したかのようなアトラクションを作っています。

例えば「トイ・ストーリー・マニア」は、なぜかキャラクターたちが登場する縁日のゲームを、ひたすら体験させられます。ストーリーはそもそも存在しませんし、ゲームとしては面白いものの、あくまで現実世界でゲームをしている感じでしかなくて、没入感がありません。大砲型のコントローラーさえあれば、家庭用ゲーム機で再現できてしまう気がしませんか? これは、「ならではの体験」が求められるテーマパークにとって、危機的な問題です。こうしたアトラクションばかりになってしまうと、家でできることをわざわざ外に出て、ゲームソフト一本分のお金を払ってまでやりに来てはくれません。

アメリカ2パークにある「リトルマーメイド」のダークライドは、別の問題を抱えています。こちらはホーンテッドマンションタイプのライドに乗って、リトルマーメイドの名シーンを回るだけ、というもの。各シーンをアニマトロニクスで再現した部屋を、順に回っていきます。アトラクションオリジナルのストーリーではありませんので、ただ映画を追体験するだけですし、それぞれのシーンに繋がりがありません。「ピノキオの冒険旅行」はまだ、視点をピノキオに変更した上で、シーンのつながりを重視していて理解させようという気があるのですが、「リトルマーメイド」は本当にバラバラのシーンを客観視点で並べているだけなのです。ライドシステムも旧来のもので、没入感などはなく、「わーキレイだねー」「こんなシーンあったねー」で終わってしまうアトラクションです。

リトルマーメイドのライド。ホーンテッドマンションなどと同じ、いわゆる「オムニムーバー」です。

あるいは各パークの新ファンタジーランドや上海にも導入された「七人のこびとのマイントレイン」では、ローラーコースターに禁断のダークライド要素を導入してしまっています。それもユニバーサルの「リベンジ・オブ・ザ・マミー」のようなうまく融合した形式ではなく、中途半端な形で。物語がありそうに見せかけて、なぜトロッコに乗り込むのかの動機づけはありませんし、コースターは突然走りはじめて、途中で鉱山の中で働く小人たちを見せられ、最後に白雪姫と一緒に踊るシーンを見せられるだけ。ライドシステムもトロッコがコースに合わせて横に傾く、最新のものを採用してはいますが、コース形状に合わせて傾いてしまうため、コースの傾きとトロッコの傾きの差が感じづらい残念なものに。

 

とにかく最近のディズニー・パークは、バックグラウンドストーリーこそしっかりと作り込んでいるものの、アトラクションではストーリーを断片的に、「点」としてだけ見せて、その間をつなぐ「線」を想像させるような形にしているものが多いのです。

それをイマジネーションだと考えているのではないかと思われるのですが、まるで絵本や紙芝居の絵だけを見せられて、そのストーリーを推測するという作業は、すべての人にできることではありません。

まして、テーマパークでアトラクションを体験する際には、意図的に物語を推測しようとしているわけではありません。

現在のディズニーのアトラクションは、無意識のうちに点と点をつなぐことができる人にだけ理解されて、その上で世界に入り込もうとする人にだけ感動を与えてくれるものになってしまっています。

それ以外の人にとっては、物語に繋がりがないため、世界にのめり込むことができず、しかもその世界とライドシステムや音響、アニマトロニクスなどがすべてチグハグに写ってしまうのです。その結果、アトラクション世界の周囲に広がる「面」を感じることもできなければ、そもそも「線」すら理解されません。点の周りにはものすごく奥行きの深い世界を見せようとしてくれているようなのですが、そもそも点と点がつながることも、その周りに世界があることも理解できないような人間にとっては、全く無意味なものになってしまいます。

私のように論理立てなければ物事を理解できないような人間にとっては理解できず、直感的に捉えることができる方で、なおかつその感度が高くなければ理解できない、高尚な芸術になってしまっているのです。

 

もちろん、そちらのほうが好みだという方もいらっしゃるでしょうし、線を明確に示してしまうよりも広い世界を感じられるという方もいらっしゃるでしょう。そういった方に向けた商売をするのであれば、そのままでも良いのかもしれません。

しかしながら、少なくともディズニーは上場している大企業で、市場経済の原理に則った運営をしなければならない会社です。しかも、アトラクションの設計以外の部分では商業主義に過ぎるように感じる部分もあります。

そんな会社が、ターゲットを絞り込んでしまうようなアトラクションを作ってはいけないのです。他社のほうが間口の広いアトラクションを作っている、ということになれば、お客さんが他社に流れてしまう恐れがあるのです。

そんなわけで、ディズニーはキューラインの待ち時間つぶしにゲームを設置するのではなく、アトラクション乗車に向けての動機づけとワクワクを盛り上げるようなキューライン、プレショー設計を行い、アトラクションの中でもしっかりとストーリーテリングを行う。さらに、ライドの動きや映像を、ストーリーテリングを補助するように使っていくべきで、そのためなら最新鋭で独創的なライドシステムを導入するなどの工夫をすべき、というのが私の考えなのです。

 

 

6. 終わりに ー 上海ディズニーランド版パイレーツ・オブ・カリビアンの課題

以前の記事に、「そうはいっても上海のパイレーツ・オブ・カリビアンはすごい、ユニバーサルにも負けていない、だからこれからもディズニーは楽しいアトラクションを作れる」といった趣旨のコメントを多数いただきました。

私自身、上海版を体験はしたのですが、積極的に語ることはしてきませんでした。それは、「中国語がわからない」から。翻訳を見ればおおよそはわかるのですが、英語や日本語と違って中国語の微妙なニュアンスまでは読み取れません。

そんなわけで、未だに仔細を把握しているわけではありませんので、おおよその流れだけを体験して語っていくことはご承知おきください。

 

さて、上海版パイレーツと好対照なのが、ユニバーサル・スタジオ・フロリダの「グリンゴッツ銀行からの脱出」だと思います。

グリンゴッツは2014年、上海パイレーツは2016年と比較的製造年が近くて、いずれもエリアの目玉として作られたアトラクションです。そしてどちらも映像主体で物語が進み、ライドも後ろに進んだり、といった変則的な動きがあります。グリンゴッツはダイアゴン横丁エリア込で約450億円、上海パイレーツは単体で約500億円と金額的にも近いです。

執務中のゴブリンたち。やたらとリアルに、ぬめぬめ動きます。表情も豊か。本当に生きているかのよう!

グリンゴッツは、まずキューラインで銀行内を見せてくれます。超リアルなアニマトロニクスが動いて、業務をする様子、豪奢な内装などを見ながら進むとプレショーがあり、これから何をするのかの動機づけが行われます。さらには映画さながらにエレベーターに乗車して、地下金庫の入り口へと移動。そこでライドに乗車します。

ライドはコースタータイプですが、映像に合わせてライドが水平方向に自在に回転します。自分は作品世界に入り込んでいますので、電撃を受ければライドは振動しますし、敵に薙ぎ払われればライドは加速エレメントを使って横方向に加速していきます。敵からのダメージを擬似的に喰らうのです。更にはレール自体がシミュレーターライドのように動いたり、まさに映像世界の中に入り込んだかのような感覚を味わえるのです。

これだけ盛り込んでいながら、やはりレールという制約からは逃れられずに、フォービドゥン・ジャーニーと比べれば今一歩という評価を受けてしまっています。ですが、このアトラクションは敵からの攻撃を受けるという、ダイナミックなインタラクションに成功したことに意義があると考えています。この手法を得たことで、今後制作するアトラクションも没入感を更に高めることができます。

 

一方、上海パイレーツは旧来のカリブの海賊と同様、キューラインでの動機づけは一切ありません。なぜか小型ボートに乗り込み、ある種漂流していくことになります。ジャックに巻き込まれる形でストーリーの中に入り込んでいきますが、そもそもなぜ自分がこんな小舟に乗っているのかわかりませんし、ただジャックが戦うところを傍観するだけでお話が進んでいってしまいます。敵からは敵視されることもなく、話しかけられはするものの映画におけるメタ発言のような違和感のあるものばかりでほぼスルーされてしまいますので、自分は物語の中にいるのか、傍観しているのかよくわからないのです。

ライドシステムの特徴は、ボートライドとしてははじめてレールを得て、リニアモーター駆動で進んでいく点。このため、ライドのタイミングに合わせた映像を見ることもできますし、前後が別のレールを走ることで自在に横を向いたり後ろを向いたりできます。これによって大型スクリーンを組み合わせられるようになったわけですが、あくまで傍観者のように通り過ぎていくだけで、シンクロした動作やレールから逸脱するような動きはありません。唯一、バックドロップだけは映像とシンクロしますが、明らかに映像からのタイムラグが発生してしまっている状況。

実は、レールを2本使ってライドの向きを制御するという手法自体は、決して新しいものではありません。しかも、それをボートライドに適用してしまうと、波に揺られるような動作を組み合わせて横に動くならまだしも、頻繁に横移動してしまうのはあまりにも不自然です。巨大スクリーンの没入感は高いものの、ストーリーとライドシステムの違和感が没入を阻害してしまっているのです。

 

比較対象を従来型のカリブの海賊、あるいは従来のディズニーアトラクションにすれば、「すげー」となるのは当然です。そういう意味では、大いに進化しています。

しかしながら、比較対象が他のテーマパークであった場合にはどうなるでしょうか。

市場経済に従う以上、来園者は他のテーマパークと比べながら、どのパークに行くのかを決めます。そんな中で、グリンゴッツと上海パイレーツの両方に乗った人が、ディズニーランドにもう一度行こうと思うでしょうか。その他の部分も含めた総合力でディズニーが勝ると判断する人は、まだまだ多いと思います。しかしながら、アトラクション単体で見たときに、ディズニーは十分な競争力を有しているでしょうか。

この点は好き嫌いを抜きにして、冷静に、かつ直感的にどちらが面白いかをしっかりと見ておくべきです。そしてディズニーが好きなら好きなほど、ディズニー・パークの永続的な発展を願って、改善を促す声を上げるべきだと思います。ただ熱狂的なファンが愛を叫び続けるだけで、競争に負けてしまっては元も子もありません。