義務教育はコミュニケーション能力育成のためにある
こんにちは、ricebag(@ricebag2)です。
この記事では、義務教育の本質的な目的は、齟齬なく他人と意思疎通を図るためのコミュニケーッション能力の育成にある、というお話をご紹介していきます。
義務教育の本質を、「飛躍のない思考」「誤解されない表現」「正しい解釈」という3つの視点から見ていくことにしましょう。
まずは「飛躍のない思考」について。
「個性のない結論」を導き出すことの重要性
日本の教育では、どんな科目であっても「唯一の答え」を導き出す問題演習が重要視されています。
これは子供の個性を失わせるとして批判の対象になることも多いのですが、実はコミュニケーション能力育成のために非常に重要なことです。
例えば、「一般に、晴れの日は曇りの日と比べて気温はどうなるでしょうか」という問題を考えてみましょう。
大抵の人は、晴れる→日差しが照る→地面や空気が暖められる→曇りの日と比べて気温は高くなると考えるのではないでしょうか。当然考えられる事柄を積み重ねていくこのような考え方こそ、「論理的思考」と呼ばれるべきものです。
その一方で、思考に飛躍があるとどうなってしまうのでしょうか。晴れる→晴れの日はだいたい暑い→曇りの日と比べて気温は高くなると考える人もいれば、晴れる→昨日は晴れだけど寒かった→曇りの日と比べて気温は低くなると考える人がいてもおかしくありません。
この二人の間では、会話は成立しませんよね。「今日は晴れだね」「暖かくなるね」「いや、寒くなるでしょ」と頭の痛くなるような会話が繰り広げられてしまいます。
どう考えたのか、経過を伝えれば相手に伝えることはできるかもしれませんが、それでは円滑なコミュニケーションとは言えません。
「唯一の答え」を導き出す訓練は、自分の考えを円滑に相手に伝えるために必要なことなのです。
さらに「問題を解決」しなければならない社会人になってからは、論理的な思考が必須になります。
飛躍のある思考をしてしまうと、誤った解決策を導き出してしまう可能性があります。
誤った対策をうってしまい、大きな失敗をしてしまう可能性があるのです。
こうした飛躍のない、論理的な思考を身につけるためには、数学教育が非常に役に立ちます。
計算ミス以外の理由で、数学の問題で「唯一の答え」を導き出すことができなければ、それはどこかで飛躍してしまっているということですよね。
義務教育期間をかけて、論理とはなにか、飛躍とはなにかを徹底的に教えこんでいるのです。
もう一つ、上で「当然考えられる事柄を積み重ねる」と書きました。
この当然考えられる事柄を教えているのが、理科や社会です。
いちいち原理原則に立ち返って思考をしていると、膨大な時間や思考力を浪費してしまいます。よく使われる知識や思考を一般常識として教えてくれます。
理科はもちろん、論理的思考も教えてくれます。
さらにさらに、国語だって実は論理的思考を教えてくれるのです。そのあたりは、また後ほど。
どうすれば「誤解されない表現」ができるのか
さて、せっかく論理的に「唯一の答え」を導くことが出来たとしても、他者に伝えるためには誤解をうけないような正確な表現をする必要があります。
誤解のない表現をするためには、表現をする人と、それを受け取る人とが、言葉に対して同じイメージを持っていなければなりません。
このように、論理的な考えを他人に伝えることができる「正しい表現」のトレーニングをするのが、国語の記述式問題であり、読書感想文や小論文なのです。
特に入試で小論文的な問題が出る場合には、これはほぼ「論理」と「正しい表現」を採点されていると見て間違いありません。
大学入試、就職の面接などになってきますと、さらに「わかりやすい表現」も求められるようになります。
これは語順であったり、文章の区切り方であったり、といったポイントに大きく左右されます。
そうしたテクニックもまた、国語の教科の中に含まれていますよね。
「正しい解釈」ができなければ日常生活すらままならない
誤解のない表現を見聞きしたときには、それを言葉通りの意味で、正しく解釈する必要があります。
受け手が正しい解釈を出来なければ、せっかく誤解のない表現をしたとしても、結局誤った情報が伝わってしまいますからね。
この「正しい解釈」こそ、国語読解の本質なのです。
たとえ小説であっても、国語の読解問題に「唯一の正解」があるのは、これが理由です。
高校や大学で学術的な本を読むときにも、社会人になって報告書を読むときにも、文章を文字通りに読むことが出来なければ困ってしまいます。
そこに個人の感情や、勝手な想像を入れてはいけないのです。
文章を読んだときに、全員が同じ理解をしてくれないと困ります。
さらに言えば、取扱説明書を読んだり、レシピ本を読んだりしたときにも、勝手な解釈をしてしまっては誤った使い方をしてしまったり、美味しくない料理ができあがったりしてしまいます。
文章をまともに解釈できなければ、日常生活すらままならないのです。
だからこそ、国語では正しい解釈のトレーニングをするのです。
文章を読んで自分の感情が動かされたり、想像が働いたりしたら、それは読書感想文として論理的に自分の考えを、わかりやすく表現すれば良いのです。
読解問題では、それとは別に文章を文字通り解釈するトレーニングをしている。
ですので、「小説の読解問題に答えがあるのはおかしい」とか、「作者の解釈が答えと違う」とか、そういった批判は当たらないのです。
作者がどう思っていようが関係なく、とにかく文章に書かれていることをそのまま、文字通りに解釈した結果が答えになります。
「正しい読解」「論理的思考」「正確な表現」が揃ってはじめてコミュニケーションができる
ここまで述べてきた、「正しい読解」「論理的思考」「正確な表現」の3点。
これらが揃ってはじめて、相手の言っていることを正確に汲み取り、それに対して飛躍のない思考で回答を考え、相手に自分の考えを正確に伝える、という会話のキャッチボールができるようになります。
つまり、義務教育の中心的科目である国語、数学、理科、社会をしっかりと学ぶことで、コミュニケーション能力を育成できるのです。
それらの科目の知識が直接的には子どもたちの将来に活かされないことも多い、ということを考えれば、義務教育の中心科目はコミュニケーション能力育成のためにあると言っても過言ではないかもしれません。
今回はあまりにもザックリと紹介しすぎてしまいましたので、各科目の本質的意義については、それぞれ別の記事でご紹介していくことにしましょう。
とにかく、学ぶ側は「そんなの将来使わない」「読解問題の答えが1つしかないなんておかしい」なんてことは言わずに本質的意義を理解した上で学ばなければなりませんし、教える側も「個性を大事にする」「科目を楽しんでほしい」なんて言い訳はせずに、しっかりと本質になる部分を伝え、正しく教えていかなければなりません。
本質的意義を理解することで学習のモチベーションが上がる
「勉強をすることに意味がある」と理解することで、学習者のモチベーションは大きく上がります。
ですから、子どもたち・生徒たちに勉強の意味合いを伝えることは非常に重要です。
しかしながら、それが説得力のないものであっては、すぐに見抜かれてしまいます。
今回ご紹介した科目の本質的意義も含めて、どう伝えればよいのかよくわからない、あるいはそれぞれの単元の意義が思い浮かばない、という方のために当サイトでは様々な科目・単元の目的付方法をご紹介していきます。
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